文化財コラム
源平合戦以来の又兵衛の手柄(2015/3/28)
大坂夏の陣において柏原市域でおこなわれた小松山の戦い、その駆け引きは、慶長二十年(一六一五)五月五日に始まりました。『大坂御陣覚書』によると、河内と大和の国境に位置する亀の瀬を背にして戦おうとする豊臣方に対して、徳川方は既に国分に到着しており、徳川方が先手を取る形となりました。続きを読む
小松山の戦いで散った後藤又兵衛の名は?(2015/3/13)
大坂の陣のヒーローと言えば、なんと言っても「真田日本一の兵」と称えられた真田幸村でしょうか。しかし、「幸村」という名を生前に使用した事例は確認できず、「信繁」が正しいことが既に明らかにされています。続きを読む
旧陸軍戦闘機の部品発見?市立健康福祉センター建設に先立つ発掘調査で(2015/3/4)
平成9年6月、柏原市立健康福祉センターの建設に先立つ大県南遺跡の発掘調査で、機械の部品らしき物がいくつか出土した。出土場所が、第2次世界大戦中に建設されたと見られる格納庫(掩体壕)の跡だったことから当時の戦闘機の部品ではないかと推定された。続きを読む
柏原市域に大きな被害 昭和11年(1936)の河内大和地震(2015/1/16)
平成7年1月17日の阪神淡路大震災から20年、平成23年3月11日の東日本大震災・大津波から4年。大きな被害をもたらした大震災の傷跡は、まだまだ癒えることがない。地震は、一瞬にして全てを奪い去ってしまう。いつ起こるのか予測が困難なだけに、普段から備えを怠ることはできない。続きを読む
柏原市内の駅と鉄道の雑学(2015/1/6)
柏原市内の駅と鉄道についての雑学を紹介しよう。いわゆるトリビア(trivia=くだらないこと、雑学知識)である。お楽しみいただければ幸いである。続きを読む
リゾート地だった玉手山(2014/10/28)
昭和5年(1930)8月、日本最初の週末リゾート、「コロニーハウス・土曜の家」が、大阪府南河内郡玉手村(現・柏原市玉手町など)にオープンした。コロニーハウス」とは、普段、自然に親しむ機会の少ない都市住民に、週末を利用して手軽に豊かな自然を楽しんでもらおうと建設された貸し別荘で、20世紀の初めごろドイツで建設された「ラウベン・コロニー(小屋の集落)」を始まりとする。続きを読む
関西本線敷設反対運動 ―路線変更、踏切増設願いー(2014/9/12)
JR関西本線(大和路線)が、柏原市域西部の市街地をほぼ南北に縦断して通っている。このため、市内上市地区などは東西に分断された形だ。こうしたことから、この鉄道の敷設が計画された明治21年(1888)ごろ、路線の変更を願い出るなどの反対運動が起こっていた。続きを読む
柏原を訪れた国家元首(2014/8/22)
これまで、柏原市には、公的私的な国際交流を通じ、さまざまな国からさまざまな人々が訪れている。しかし、国家元首クラスの方々が訪れたことは、そう多くはない。明治以降の郷土史の中でも、そうしたことは、これまでに、たった2回あるだけだ。続きを読む
ワインは、かつて軍需物資だった(2014/8/12)
第2次世界大戦中、日本全国でワインが大増産された。ワインの醸造で得られる酒石酸(酒石酸カリウムナトリウム=ロッシェル塩)が、イヤホンやマイクなどの圧電素子として利用できたからだ。当時、通信機や聴音機の原材料として不可欠な軍需物資、それがワインだった。続きを読む
ヒトラーが堅下に!? ヒトラー・ユーゲントの来訪(2014/8/11)
第2次世界大戦前、堅下にアドルフ・ヒトラーが来たことがある!? かつて、こんな誤解があった。 実際に来たのは、ヒトラー・ユーゲントの青少年たちである。続きを読む
多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)-その数奇な運命-(2014/7/10)
かつて、柏原市内で出土した文化財の中に多鈕細文鏡という鏡がある。弥生時代の青銅鏡で、直径は21.7センチある。背面、中心線から少し上に二つの鈕(ちゅう=つまみ)が左右に並んでおり、背面の全体が鋸歯文(きょしもん)と呼ばれる、のこぎりの歯のような形の細線文様で覆われている。続きを読む
地すべりでの崩壊を免れた奇跡のトンネル(2014/6/30)
JR関西本線の河内堅上駅~三郷駅間の大和川北岸、大阪府柏原市峠の、通称亀の瀬地区に旧大阪鉄道の亀の瀬隧道(ずいどう:トンネル)がある。 亀の瀬トンネルは、大阪と奈良を結ぶ最初の鉄道として大阪鉄道が敷設した関西本線のトンネンルで、明治25年(1892)に開通した。続きを読む
社会事業の実践者 武田慎治郎(2014/6/25)
かつて、柏原市高井田に武田慎治郎という人がいた。 武田慎治郎は、明治元年(1868)福井県生まれ。警察官として曽根崎署長などを歴任した後、大正2年(1913)、大阪府立修徳館(現・「児童自立支援施設・大阪府立修徳学院」)の館長となった。 続きを読む
宮沢賢治と柏原(2014/1/8)
「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」などの童話、「雨ニモマケズ」などの詩で知られる作家・宮沢賢治が、かつて柏原の地を訪れていた。賢治が柏原の地を訪れたのは、大正5年(1916)3月、今から100年近く前のことだ。続きを読む
柏原市域に関係する詩歌、市域内で詠まれた歌など(2012/12/18)
○ 海(わた)の底(そこ) 沖つ白波 竜田山 いつか越ゆらむ 妹(いも)があたり見む
海の底、沖の白波が立つ、竜田山を越えるのはいつの日だろうか、続きを読む
史跡高井田横穴公園内の万葉歌(プレート)(2012/4/14)
柏原市立歴史資料館に隣接して史跡高井田横穴公園がある。この公園は、横穴見学者だけでなく、より多くの人たちが公園を利用し、楽しむことができるよう、四季折々の花の植栽なども含めて整備されている。万葉集の歌を表示したプレートもその一つで、園内西エリアには花をテーマとした万葉歌のプレートが、テーマとなった花の植栽の近くに立てられている。続きを読む
ちょっと昔の柏原(2011/6/1)
柏原市が市政を施行したのは、今から約50年前の昭和33年(1958)10月。昭和30年代を舞台にした映画「3丁目の夕日」の新作が公開されるなど、当時の社会や世相が関心を集めている。
さて、それでは、そのころの郷土・柏原はどんなようすだったのだろう。続きを読む
柏原市の誕生(2011/4/19)
昭和31年(1956)、柏原町と国分町が合併して成立した新しい柏原町は、昭和33年(1958)10月1日、市制を施行。ここに「柏原市」が誕生した。 それから50年余。ここで、改めて柏原市誕生の歴史をひも解いてみることにしよう。それは、昭和史のドラマである。 続きを読む