柏原市内の駅と鉄道の雑学

2015年1月6日

 柏原市内の駅と鉄道についての雑学を紹介しよう。いわゆるトリビア(trivia=くだらないこと、雑学知識)である。お楽しみいただければ幸いである。

 

河内堅上駅(かわちかたかみ・えき)

 明治44年(1911)11月5日に青谷信号所として開設。昭和2年(1927)4月19日、駅に昇格した。JR関西本線(大和路線)の駅である。

 他の地域に同名の駅がある場合、区別のために旧国名を冠するのはよくある話だ。しかし、「堅上」などという名の駅は、日本全国、ここ以外のどこにもない。にもかかわらず、わざわざ「河内」という旧国名を冠している。何故だ? 奈良県(大和)との境界近くにあるからだろうか。ここは、まだ河内(大阪府)だぞ、という自己主張なのだろうか。

 駅は、大和川が奈良県から大阪府に入る渓谷部に位置し、なかなかのロケーションである。春はプラットホームの桜と電車の組合せがすばらしいなど、撮影ポイントとしても知られる。このあたりの区間、豊かな自然環境の中にありながら、大都市近郊路線ということで電車の運行本数が多いことも撮影ポイントとしての魅力だとか。この区間を走る各駅停車の電車の色は萌黄色(黄緑6号)なので、夏には周辺の山々の緑に溶け込んで「保護色」然となっている。

 駅の北東、三郷駅(奈良県)方向にある鉄橋は、下部がトラス構造となっているが、これは全国唯一の形態だとか。

 また、地滑りで倒壊したと思われていたものの、平成20年に、約80年ぶりに発見された亀の瀬トンネルも、この駅の近くにある。

 

高井田駅(たかいだ・えき)

 いわゆる請願駅(もともと駅のなかった場所に地元の要望=請願で設置する駅)で、昭和60年(1985)8月29日に開業した。昭和37年(1962)以来の要望が、国鉄(日本国有鉄道)最後の時期にようやく実現した駅だという。国鉄は、昭和62年(1987)に分割民営化されて、JR西日本(西日本旅客鉄道株式会社)などとなった。この駅もJR関西本線(大和路線)の駅で、河内堅上駅の隣に位置する。

 請願駅の場合、設置工事などの費用は一般に地元負担となるところから、当時、高井田地区で宅地開発などを行っていた業者が全額負担したという。市は負担していない。地方財政再建促進特別措置法(昭和30年法律第195号、平成21年失効。これに代わる現行法は「地方公共団体の財政の健全化に関する法律(平成19年法律第94号)」)第24条により、自治体が費用負担することは原則禁止されていたからだ。

 「高井田」という名の駅は、他に大阪市営地下鉄中央線(東大阪市)にある。鉄道会社が異なるせいか、駅名に特に変化はつけられていない。しかし、JRおおさか東線の方にある駅は「高井田中央駅」(東大阪市)と、しっかり区別されたネーミングとなっている。同じJRだからなのだろう。とはいえ、JR関西本線の高井田駅が「辺境」にあるというわけではない(と思う)。

 もう一つ、京王電鉄井の頭線に、おっと、こちらは「高井戸(たかいど)駅」(東京都杉並区)だった。実に発音が似ている。似たような駅名なら南海電鉄南海本線に「高石駅(たかいし)駅」(高石市)というのもある。どこが似ているのだという批判もあるが、仮名で書くと似たような感じになるだろう。

 

柏原駅(かしわら・えき)

 明治22年(1889)5月14日、当時の大阪鉄道の駅として、開設された。当時は、湊町(みなとまち=現・JR難波)駅~柏原駅間の営業で、柏原駅は終着駅だった。

 全国に「柏原」という地名は、けっこう多い。そして、読み方も「かしわら」「かしはら」「かしわばら」「かいばら」など、複数ある。しかし、そのうち、市の名前になっているのは本市(大阪府柏原市)だけ。したがって、その柏原市にあるこの駅は、由緒正しい柏原駅ということができる(?)。

 近畿日本鉄道(近鉄)柏原駅と同居しているが、駅の事務は、すべてJRが行っている。しかし、JR線と近鉄線の乗継は便利とは言い難い、との指摘がある。ICOCAなどICカードの使い勝手も、乗継に際しては、悪いという。

 一般には、「JR柏原駅」と認識されており、近鉄柏原駅でもあるとの認識は薄い。現在、駅舎正面には「JR 柏原駅 近鉄」と大書されているが、「近鉄柏原駅」の所在を尋ねられた地元住民は、一様に「はァ?」と答えるのではないだろうか。近鉄は、1番線ホームから発着しているのだが。JRは関西本線(大和路線)、近鉄は道明寺線である。明治31年(1898)3月24日、当時の河陽鉄道の開業に伴う乗り入れ以来の同居だ。

 ちなみに「柏原駅」は、このほか、東海道本線の「柏原(かしわばら)駅」(滋賀県米原市)、福知山線の「柏原(かいばら)駅」(兵庫県丹波市)などがある。文字で書くと、皆、同じなのに、こちらは堅上駅とは違って、どこの駅にも旧国名などは冠されていない。高井田駅のように区別された単語もぶら下がっていない。読み方が違うからだろうか。

 ところで、信越本線の「黒姫駅」(長野県上水内郡信濃町)も、かつては「柏原(かしわばら)駅」(昭和43年・1968年改称)と呼ばれていた。この柏原は、小林一茶の出身地である。

 

JR関西本線

 JR難波駅~名古屋駅間、総延長(営業距離)174.9km。現在、その内、JR難波駅~亀山駅間115.0kmがJR西日本で、亀山駅~名古屋駅間59.9kmがJR東海となっている。また、総延長区間の内、木津駅~四日市駅間89.7kmが単線で、加茂駅~亀山駅間61kmが非電化である。つまり全区間の半分以上が単線で、三分の一強が非電化なのだ。というわけで、関西本線複線電化促進連盟(会長・三重県知事、4府県と柏原市など22市町村が加盟=平成26年現在)というところが、全線の複線電化と利用促進を目指して活動を続けている。

 現在は、3区間、JR難波駅~加茂駅(54.0km)、加茂駅~亀山駅(61km=非電化区間)、亀山駅~名古屋駅(59.9km)の運行系統に分かれているという。この内、JR難波駅~加茂駅間は、「大和路線」という愛称で呼ばれている。また、一般には「関西線」とも呼ばれている。

 柏原市民にとっては、JR難波駅~奈良駅間を結ぶ鉄道という印象が強い。直通列車が運行されていないなど、もはや幹線鉄道としての性格を失っているが、かつては大阪~名古屋間の乗客を東海道本線と激しく争った歴史を持つ。当時、この区間は関西鉄道の路線だったため、官営の東海道本線とライバル関係にあったのだ。1円の乗車券に1円相当の弁当をおまけに付けるなど、熾烈なダンピング競争が展開されたという。この関係は、明治39年(1906)の鉄道国有法(明治39年法律第17号、「日本国有鉄道改革法等施行法(昭和61年法律第93号)」第110条により昭和62年に廃止)で関西鉄道が国有化されるまで続いた。

 また、昭和23年(1948)10月ごろから昭和43年(1968)9月ごろまで、湊町(現・JR難波)駅~東京駅間を結んで関西本線(名古屋駅からは東海道本線)を走る寝台列車(急行「大和」)が運行されていたこともある。

 ちなみに、JR難波駅~奈良駅間については、昭和36年(1961)に複線化が、昭和48年(1973)に電化が、それぞれ完了している。ただし、JR難波駅~柏原駅間に限っていえば、早くも明治41年(1908)に複線化されている。柏原駅~青谷信号所(昭和2年から河内堅上駅)間も大正12年(1923)に複線化だ。奈良県側の複線化が、少し後になったようである。JR難波駅~柏原駅間には、明治42年(1909)4月1日から気動車(ただし、ディーゼル・カーではなく、蒸気動車と呼ばれるもの)が運転されている。

(文責:宮本知幸)

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