【広報コラム】「戦争とぶどう栽培」(2019・8)
2024年9月12日
柏原の特産品といえば、誰もが「ぶどう」を挙げるでしょう。そのぶどう栽培が柏原で始まったのは、明治初期、今から140年ほど前のことでした。その後、ぶどう栽培は定着し、昭和初期には全国最大規模のぶどうの産地となりました。
太平洋戦争が始まる昭和16年ごろには、全国で果物の栽培が制限されるようになりました。主食となる米や芋を栽培するように命じられたのです。ところが、戦争中を通じて柏原のぶどう畑の面積はほとんど変わりませんでした。そして、この間に、ぶどう酒の生産量が4倍近くに増えていたことが分かっています。どうしてでしょう?
実は、ぶどう酒に含まれる酒石酸(しゅせきさん)という物質が、潜水艦などの音波探知機に必要だったのです。そのため、ぶどう酒を増産して、酒石酸を大量に作る必要があったのです。酒石酸とは、ぶどう酒を長期間放置すると、瓶の底に溜まる白い固まりのことです。戦争中を通じてぶどう畑を残すことができたため、戦後、柏原のぶどう栽培の復興は目覚ましいものがありました。終戦の日を迎えるにあたって、柏原のぶどうが戦争兵器と深く関わっていたことを皆さんにも覚えておいてもらいたいと思います。
歴史資料館では、「田中幸太郎が写した柏原―ぶどう編―」として、昭和30年代のぶどう畑の風景写真パネルを多数展示しています。ぜひご覧ください。
▲太平寺のぶどう畑(昭和35 年・田中幸太郎撮影)
(2019年8月号掲載)
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