【広報コラム】「佐世保の海が見えるところに骨を埋めてほしい」(2019・12)
2024年9月12日
これは「わが国の近代水道の父」と呼ばれる「吉村長策(よしむらちょうさく)」の遺言です。去る11月21日が命日でした。
長策は、万延元(1860)年3月18日に国分に生まれました。立教館で漢学を修めた後、堺県立河泉学校で英語を学び、明治18(1885)年に工部大学校(現在の東京大学)の土木科を主席で卒業。母校の助教授をへて長崎、大阪・神戸などの西日本主要都市の水道設置に関わりました。そして昭和3(1928)年11月21日に東京で亡くなりました。
生前にすでに自らが決めていたのでしょうか、墓は佐世保の街や港を望む高台にあります。そのデザインは「水道の父」の称号にふさわしく、平面が六角形で上部は円頭状という水道施設を思わせる大きなものです。墓塔の石板には長策、妻、早世した子どもたちの名が刻まれています。
土木の技術者として社会に出てから初めての仕事が佐世保の道づくりでした。後にその道を通って長女が平戸の松浦家へ嫁いでいくという縁。水道施設、海軍の係船池など、数々の仕事を手がけたこともあって佐世保への愛着は深まっていったのでしょう。
佐世保では街の近代化の功労者として必ず長策の名が上がります。市の広報誌や刊行物では何度もその業績が紹介されています。佐世保を愛した長策、そして今なお長策を慕う佐世保。柏原に生を受けた長策が永眠の地として遠く離れた佐世保を選んだのはごく当たり前のことだったのかも知れません。
▲吉村家之墓
(2019年12月号掲載)
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