【広報コラム】「武田慎治郎なくして児童福祉はなし」(2020・3)
2024年9月6日
少年への司法的な制度として大正11(1922)年に(旧)少年法が公布されますが、それ以前に教育的処遇の制度として感化法(明治33年)がありました。しかし感化事業の改善が必要となり、昭和8年に少年教護法が制定されます。それをなくして現在の児童福祉法は誕生しなかったとも言われ、感化法改正運動の中心的存在であった武田慎治郎の活躍ぶりが近年評価されつつあります。「武田の実践から現代の児童福祉を見ると、創造性の欠如と活力の不足という問題に行き当たる。これが武田の発しているメッセージである」と藤原正範(鈴鹿医療科学大学教授)は述べています。
武田慎治郎は明治元(1868)年9月22日(旧暦)福井県生まれで、警視庁、大阪府警を経て、大正2年に大阪府立修徳館館長に就きました。大正12年にはその修徳館が柏原に移転しました。しかし、公立の大規模施設では、教育よりも管理が優先される実態と限界を武田は痛感することとなったのです。「小規模で家庭的な雰囲気の中で児童福祉に取り組む」との考えに立ち、私財を投じて大正15(1926)年に設立したのが武田塾です。
武田はその後も児童福祉の実践に力を尽くしますが、伊勢参拝と視察で滞在していた三重県宇治山田で体調を崩し、生涯を閉じます。今からちょうど80年前、昭和15(1940)年2月26日のことです。
▲武田塾 塾舎(昭和4年)
(2020年3月号掲載)
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