【広報コラム】「『日本書紀』の頃の柏原」(2020・4)

2024年9月6日

 『日本書紀』は720年に、国家の一大事業として編さんされた歴史書です。712年に成立した『古事記』も有名ですが、こちらは主に天皇家の歴史をまとめた国内向けの書に対し、『日本書紀』は、唐や新羅といった当時の近隣諸国に示すための公式な歴史書とされています。ちなみに編さん期間は『古事記』が4カ月、『日本書紀』は39年の歳月が費やされました。
 『日本書紀』には「軍君(こにきし)」、「安宿郡(あすかべのこおり)」、「田辺史(たなべのふひと)」、「大道(おおち)」、「懼坂道(かしこのさかみち)」などの柏原に関係するキーワードがあります。スペースの都合でそれらの詳しい説明はできませんが『日本書紀』が成立した頃の柏原はどんな様子だったのでしょうか。
 生駒山地の山裾には智識寺を中心に6つの寺院が建ち並び、旧大和川に架かる丹塗りの「河内大橋」の西側には、「船橋廃寺」があります。大和川の南側をみると、玉手山丘陵の北端には「片山廃寺」、田辺には、当時、官人として活躍していた田辺氏による「田辺廃寺」がありました。各寺院にはその象徴ともいえる三重あるいは五重塔がそびえ、塔や金堂などの建物は「河内大橋」同様、色鮮やかな朱色に塗られていました。
 当時の柏原には、とても華やかな景色が各所で広がり、行き交う人々を魅了していたに違いありません。

720年頃の柏原    イラスト
▶720年頃の柏原

(2020年4月号掲載) 

これまでの広報コラム

 資料館TOP

お問い合わせ

文化財課
582-0015 柏原市高井田1598-1(歴史資料館内)
電話072-976-3430
ファクシミリ:072-976-3431