【広報コラム】「天皇も往来した龍田古道」(2020・5)
2024年9月6日
平城宮に遷都されて奈良時代になると、龍田古道は難波宮への行幸路となりました。難波宮は大阪市中央区法円坂にあった古代の宮殿です。奈良時代には副都と位置づけられ、一時は正式な都ともなっています。その平城宮と難波宮を天皇や皇族、官人らが往来するのに龍田古道が利用されました。
天皇の行幸にはおみこしのような輿(こし)が使用されました。平城宮から難波宮までは暗峠(くらがりとうげ)を越えるのが最短経路でしたが、暗峠は傾斜が強すぎて輿は使えません。そこで高低差の小さい大和川沿いの龍田古道を利用したのです。
天平12年(740)に難波宮へ行幸した聖武天皇は、途中で太平寺にあった智識寺に立ち寄り、蘆舎那仏(るしゃなぶつ)を礼拝しました。そして、その素晴らしさに感動して「ぜひ、私もこんな仏像を造ってみたい」と考えて造られたのが東大寺の大仏です。あの有名な大仏を造るきっかけとなったのは、柏原にあった智識寺の仏像だったのです。
聖武天皇の娘の孝謙天皇も、龍田古道を利用して天平勝宝元年(749)に智識寺を訪れ、天平勝宝8年(756)には河内六寺を参拝しています。奈良時代には、天皇がしばしば柏原を行き交っていたのです。そのきらびやかな光景を想像してみてください。
歴史資料館では、8月23日(日)まで、企画展「龍田古道―あの山を越えれば―」を開催しています。ぜひお越しください。
▲大和川と芝山 龍田古道はこの辺りを通っていた。
(2020年5月号掲載)
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