【広報コラム】「柏原の古道‐東高野街道‐」(2020・7)
2024年9月6日
このコラムでも何回か紹介した「龍田古道」は、613年に整備された日本最古の官道であり、天皇も往来していた重要な道だったと考えられます。しかし、市内にはそれ以外にも歴史的に重要な「東高野街道」があります。
東高野街道は京都と高野山を結ぶ高野詣(こうやもうで)の道で、生駒山麓に沿ってのびる現在の国道旧170号にほぼ相当します。安堂で大和川を渡り、石川に沿って古市、富田林へと続きます。古代では和歌山や四国へ通じる「南海道」とされ、高野詣の風習が武士や庶民に広まるにつれて「高野道」、「東高野街道」といった名称が定着していきました。
かつて大阪には、河内湾・河内湖と呼ばれる内海・湖がありました。その水域と生駒山に挟まれるようにのびているのが「東高野街道」で、大阪を縦断できるこの道が、古くから利用されていたのは間違いありません。官道として整備されたのは、龍田古道に近い時期の7世紀初めごろと考えられますが、東高野街道沿いには、それよりもはるかに古い縄文・弥生時代の集落や古墳時代の古墳など、各時代の遺跡が連なっています。縄文人がこの道を通って狩りに出かけることもあったでしょう。当然その頃は、曲がりくねった狭い道だったと思いますが、何千年もの時を経て、今なお国道として受け継がれていることに、この道の重みを感じます。
江戸時代、街道に沿って立てられた道標は、道路工事で撤去されることもありますが、道の歴史を今に伝える貴重な目印といえます。
▲東高野街道とかつて平野にあった道標
(2020年7月号掲載)
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