【広報コラム】「大和川つけかえに反対した人たち」(2021・10)
2024年9月5日
江戸時代の宝永元年(1704)に、大和川が付け替えられました。たびたび起こる洪水に苦しむ大和川流域の人々が、付け替えを求める運動をしていたことは、よく知られています。それとは逆に、付け替えに反対する人たちもたくさんいました。新しい大和川ができると困る人たちがいたのです。
付け替えに反対したのは、新しく計画された大和川の周辺に暮らす人たちでした。新しい川ができると、自分たちの田畑など土地が奪われてしまいます。また、新大和川の南側では排水不良になります。逆に北側では田畑の用水不足に困るようになります。これらの理由で付け替えに反対したのです。
元禄16年(1703)に、大和川の付け替えが決まりました。付け替えに反対していた人たちは嘆き悲しみました。麦の刈り取りまで待ってほしいという願いもむなしく、工事が始まってしまいました。付け替え後は、心配していたことが次々と現実となり、生活に困るようになりました。失った代わりの土地を旧大和川筋で与えられましたが、そんな遠いところまで通うことができず、手離すことになりました。それ以降、何度も起こる洪水に苦しむ村もありました。このような歴史があったことを私たちも覚えておきたいと思います。
▲新大和川によって分断された若林村の絵図(長谷川家文書・写真は松原市文化情報振興事業団提供)
(2021年10月号掲載)
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