【広報コラム】「聖徳太子と柏原」(2022・4)
2024年8月30日
今回は聖徳太子と柏原について考えてみたいと思います。聖徳太子が亡くなったのは622年2月22日。今年で1400年となります。前年の12月に太子の母が亡くなり、太子も病に伏し、太子を看病していた妃の膳郎女(かしわでのいらつめ)も病になって太子が亡くなる前日に亡くなっています。何らかの感染症だったのではないでしょうか。
日本遺産になっている「龍田古道」を整備したのは聖徳太子だったと考えて間違いないでしょう。太子ゆかりの四天王寺や渋川を通り、太子が住まいとした斑鳩へと至る道です。
太子が茨田寺(まんだでら)の東から北方の大県山の西下を望み、百年後にそこに立派な寺と巨大な仏像が造られると予言したということです。茨田寺とは安堂にあった家原寺(いえはらでら)のことでしょう。そして、立派な寺とは智識寺のことと考えられます。智識寺は聖徳太子創建の寺の一つともされていますが、実際の創建は7世紀後半であり、太子が創建したとは考えられません。
高井田に高井寺(こうせいじ)という寺があります。この寺の「縁起」にも聖徳太子が創建した小さいお堂の後に、法隆寺の僧が伽藍(がらん)を整備したと書かれています。「縁起」とは寺の由緒を記録したものですが、江戸時代前期に書かれたものであり、その内容を信じることはできません。しかし、柏原と聖徳太子との何らかの関係を示しているのかもしれません。資料館では、王寺町・三郷町と共催で「聖徳太子の伝説と真実―柏原・王寺・三郷の道と寺―」を開催中です。
▲高井寺縁起
(2022年4月号掲載)
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