【広報コラム】「『河内源氏』と柏原」(2022・8)
2024年8月30日
平安時代、古代国家による地方支配がゆるんでいくと、京都の朝廷を護衛するため、また、地方に遠征して朝廷の意に従わない群盗たちを鎮圧するため、軍事的に活躍する貴族が現われます。彼らは、京都にほど近い場所に拠点を置いて、一族郎党とともに軍事的な訓練を重ね、また、地方にも勢力を伸ばして、蜂起にいち早く対応します。こうした家の代表例が、今年の大河ドラマでも描かれている、平氏や源氏です。
なかでも、頼信―頼義―義家と続く「河内源氏」は、東北地方での戦乱の鎮圧に功を挙げた武門の代表格で、その通称は、頼信が、河内国石川郡、特に現 羽曳野市壺井(つぼい)周辺に拠点を置き、河内守の任に就いたことにちなんでいます。頼信は、腹心の藤原則経(ふじわらののりつね)を、現 平野~雁多尾畑にかけて存在した牧場、「坂門牧(さかとのまき)」の荘官の家に養子として送り込み、柏原市域にも勢力を拡大させました。牧場、というとのどかな感じもしますが、馬の軍事的重要性は言うまでもなく、柏原の山やまで鍛えられた馬たちが、武士たちの活躍を助けたのです。現在、雁多尾畑に架かる「坂戸大橋(さかとおおはし)」は、その地名をいまに伝えています。
やがて平氏が台頭し、「河内源氏」は壊滅状態となって、嫡流の頼朝は伊豆に流されます。しかし、激動の時代にあって、頼朝は、関東武士の棟梁「鎌倉殿」として復活します。そして、時に朝廷に対峙していくという数奇な運命をたどり、新たな時代を切り開いていくことになるのです。
▲坂戸大橋(雁多尾畑)
(2022年8月号掲載)
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