【広報コラム】「柏原の明治時代」(2022・12)
柏原の歴史において、明治時代(1868年~1912年)が、とりわけ大きな変革の時代であったことは言うまでもないでしょう。黒船来航という外的インパクトをきっかけとして、この時期の日本では、政治指導者から一般庶民まで、多くの人々を巻き込んで政治闘争・政策論争が行われ、最終的に、立憲政治・産業革命を成し遂げ、欧米の先進国と肩を並べるに至りました。柏原でも、明治5(1872)年、学制の発布によって、現在の堅下小学校・国分小学校・柏原小学校・堅上小学校につながる4つの「学校」が設立(ちょうど150年前)されたほか、明治22(1889)年には、いち早く鉄道(現在のJR大和路線)が開通。旧大和川河床の新田には工場が並び、山すそにはぶどう畑が開墾されるなど、その景観は変貌を遂げます。 しかし、一方で、世界経済への門戸を開いたことで、それまで河内の名産であった木綿は急速に市場から姿を消しました。また、疫病が流行してお祭りはたびたび中止となり、ぶどうについても、外来種由来の病気のまん延によって、一時は壊滅状態となりました。貧富の差は厳然(げんぜん)としてあり、お金持ちでも、新興産業に投資し、一気に転落する人がいました。そして、日清・日露戦争によって、戦死者も数多く出ました。大変革の時代である分、光も影も強烈だったのです。そうした中、電気が普及していなかった時代ですが、柏原の明治人たちは、朝早くから夜遅くまで、懸命に労働し、その「近代化」を支えました。
来年1月から、歴史資料館では、残された暮らしや仕事の道具などをもとに、柏原の明治時代を考える展示を開催します。明治時代、日本では、柏原では、何が達成され、何が積み残されたのか。この機会にぜひ、思いをはせていただけると幸いです。
(2022年12月号掲載)