【コラム】大和川のつけかえ-つけかえしないと決めてから- (4) 天和3年の付け替え検分(2)-従来ルートでの検討-

2023年10月5日

 天和3年(1683)の検分では、新川予定地として舟橋村(藤井寺市)から田辺村(大阪市東住吉区)を経由して安立町(大阪市住之江区)へ、また田辺村から阿倍野村(大阪市阿倍野区)へのルートで検討されたことが知られています。いつも現在の大和川付近のルートで検討されていたのですが、かなり北寄りのルートで検討されたことになります。

 ところが、令和2年に確認した史料によって、天和3年の検分でも従来のルートで検討されており、第二案として田辺村への北寄りルートが検討されていたことがわかりました。その史料は、藤井寺市松永白洲記念館所蔵の「川違迷惑之御訴訟」で、天和3年4月18日付けの付け替え反対の嘆願書です。

 この文書では、川床となる土地と左岸の滞水地、右岸の水不足で9万石余りの土地が耕作不能地となることや、瓜破から手水橋までは地形の高低が激しく堤を築くのが困難であることなどから、付け替えるべきではないと訴えています。また、大和川下流の河内の村々が、洪水被害を大きく見せるために偽りを訴えているとも記しています。

 この嘆願書は4月18日付けですが、4月2日にも同様な嘆願書を提出したことが記されています。この文書には新川の予定ルートは示されていませんが、差し出しである36ヶ村の名をみれば、そのルートがわかります。その村々は、志紀郡柏原村、舟橋村、国府村、北条村、大井村、林村、沼村、小山村、太田村、南木本村、丹北郡小山村、太田村、南木本村、津堂村、若林村、大堀村、川辺村、長原村、別所村、三宅村、東瓜破村、西瓜破村、住道村、城連寺村、矢田部村、枯木村、芝村、油上村、摂州住吉郡庭井村、苅田村、我孫子村、杉本村、山ノ内村、遠里小野村、七道、安立町となっています。これらの村は、いずれも現在の大和川に沿った村であることから、検討されていた新川のルートは、従来のルートと同じであったことがわかります。

 検分の際には新川予定地の中心に杭が打たれました。この杭を傍示杭(ぼうじぐい)といい、このルートの傍示杭を打ったのは、芝村の三郎左衛門と吉田村の次郎兵衛だったと書かれています。三郎左衛門は検分にも一部同行していたという史料もあります。三郎右(左)衛門と治(次)郎兵衛が付け替え運動の中心人物だったことが、この文書からもわかります。

 (安村)

「川違迷惑之御訴訟」(松永家文書)部分

「川違迷惑之御訴訟」(松永家文書)部分

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