【コラム】百済の王族が眠る? 高井田山古墳 (4)高井田山古墳の被葬者像

2023年5月12日

 それでは、高井田山古墳にはどのような人物が埋葬されたのでしょうか。武寧王陵のように、墓誌でも出てこなければ古墳に埋葬された人物を特定するのは困難です。しかし、残されたさまざまな資料から、被葬者の実像に少しでも迫ってみたいと思います。
 まず、横穴式石室は百済に祖形があると考えています。石室を見よう見真似で造ることはできないでしょう。おそらく、百済で石室を築造した経験のある人物が関わっていると考えられます。
 次に、夫婦合葬という埋葬形態です。当時の日本では、同じ石室には血縁関係のある人物を埋葬するという原則がありました。科学技術の進歩した現代でも、埋葬の約束事を破るのに抵抗のある人が多いでしょう。それが、在来の方法ではなく、中国や朝鮮半島で行われていた夫婦合葬という埋葬方法が採用されているのです。
 ひのしは中国製であり、百済の武寧王陵出土品に酷似することはすでに述べました。金層ガラス玉はオリエントで造られたものと考えられています。
 鉄釘や鎹を打ちつけた木棺の存在も注目されます。これも百済などで普及していた木棺で、釘や鎹は横穴式石室とともに百済から伝えられたと考えられています。
 最後に、石室内に土器が多数持ち込まれていることです。これは葬送儀礼の一環で、棺を安置したあとに土器を用いて儀礼が行われ、その後に入口を閉塞しています。おそらく土器には食べ物などが盛られていたことでしょう。
 以上の事実について、副葬品だけならば交易などでもたらされたことも考えられます。石室だけならば百済の工人だけが渡来して造ったと考えることもできます。しかし、夫婦合葬という埋葬方法や土器を使用した葬送儀礼など、埋葬に伴う方法や儀礼まで朝鮮半島のやり方で埋葬していることを考えると、高井田山古墳には朝鮮半島、おそらく百済から渡来した人物が埋葬されていると考えるのが妥当でしょう。
 しかも百済においては王陵クラスの規模の石室であり、豪華な副葬品を伴っています。ひのしは武寧王妃のひのしと瓜二つです。ということは、百済の王族クラスの人物が、高井田山古墳の被葬者であると考えることに問題はないでしょう。さて、そんな人物が、なぜ日本にやってきたのでしょう。そして、どうしてここに埋葬されることになったのでしょう。その謎に迫っていきたいと思います。

(安村)

石室内須恵器出土状況

石室内須恵器出土状況

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