【コラム】百済の王族が眠る? 高井田山古墳 (2)武寧王

2023年4月29日

 百済25代の王となった武寧王(ムニョンワン、ぶねいおう)は、462年に生まれ523年に亡くなりました。王としての在位は502年から523年です。中国南朝と密な関係を築き、復興した百済を最強の国とした王として有名です。この武寧王の古墳が韓国忠清南道公州市の宋山里(ソンサンリ)古墳群にあります。
 1971年、工事中に偶然発見された武寧王陵は、未盗掘で美しい塼積みの墓室内から多数の副葬品が発見されました。古墳は直径20m前後の円墳と考えられ、墓室はレンガのような塼を積み上げて築かれています。塼積み墳は中国南朝に多く、その影響で構築されたと考えられます。塼には蓮華の文様などがみられます。玄室の長さ4.20m、幅2.72m、高さ2.93m。羨道が玄室中央に取り付く両袖式の墓室です。玄室には王と王妃の2棺が安置されていました。どちらも頭を南に向けて、東に王、西に王妃の棺が安置されていました。金製の装飾品や銅鏡など多数の副葬品が出土していますが、注目されるのは石製の売地券です。そこには523年に62歳で亡くなった武寧王を525年に埋葬し、526年に亡くなった王妃を529年に埋葬したことが記されています。これによって、この古墳が武寧王と王妃の合葬墓であることが確定したのです。
 両袖式の塼積墳である武寧王陵は、高井田山古墳の石室と大きく異なります。しかし、出土したひのしが高井田山古墳出土のひのしに酷似しており、金層ガラス玉の出土など高井田山古墳との類似点もあるのです。武寧王陵から出土したひのしは、王妃の足元に置かれていました。アイロンとしてのひのしは、高井田山古墳と同じく、やはり女性の所有物だったのでしょう。武寧王の木棺は朝鮮半島に自生しないコウヤマキ製で、『日本書紀』の記述などからも、武寧王が日本と深い関係にあったことがわかります。おそらく武寧王は、日本で生まれ長らく日本に滞在していたのではないかと考えられます。高井田山古墳の被葬者と何らかの関係が想定できるのです。
 武寧王が亡くなった523年から今年(2023年)で1,500年となります。この機会に高井田山古墳をもう一度見直し、百済との関係について考えてみようというのが、企画展「百済の王族が眠る? 高井田山古墳」の趣旨です。みなさんも百済の王族に思いを馳せてみてください。

(安村)

武寧王陵

武寧王陵

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