【コラム】高井田山古墳ってどんな古墳? (6)東棺出土のひのし
ひのし(火熨斗)とは、火皿に炭火を入れて、その熱で布のしわを伸ばすための青銅製品、つまりアイロンです。高井田山古墳出土のひのしは、火皿と柄を一体で造った鋳造製です。鋳造は鋳型に溶解した銅を流し込んで造ったものです。火皿の底面中央部が一部破損していますが、ほぼ完全に残っています。
全長が46.5cm、火皿の口縁部直径が16cm、高さ4.9cm。火皿の口縁は水平に近く開き、その上面に凹線が6条めぐっています。柄は火皿に対して4°の角度で柄尻に向かって高くなり、柄の断面は上面が平らな半円形になります。重量は892.2gあります。
火皿の内部には直径3.9mmの撚紐が残っていました。また火皿や柄に麻布の痕跡がみられ、一部に綾の布片も残っていました。ひのしは麻の布に包まれ、さらに綾で包まれていたと考えられます。調査時には、ひのしを灯明として使い、火皿内の撚紐はその灯心の可能性も考えていましたが、そうではなく布に伴うもので巾着の口紐のようなものと考えたほうがよさそうです。また、ひのしの柄の上には木棺材が残っており、コウヤマキと鑑定されています。銅イオンに保存されて、ひのしや銅鏡の上面には木棺材や布が残っていたのです。
日本の古墳からの出土品で完存するひのしは、橿原市新沢千塚126号墳出土品と本例のみで、新沢千塚出土品は国宝に指定されています。新沢千塚出土品は火皿が大きく柄の短いもので、高井田山古墳出土品とはかなり異なっています。
高井田山古墳出土品と酷似するひのしが、韓国の武寧王陵から出土しています。武寧王は百済の王で、523年に亡くなり、王陵は韓国公州市の宋山里古墳群にあります。夫婦合葬墓で、ひのしは王妃の副葬品として足元に置かれていました。ひのしは女性の所有物だったようです。韓国では、ひのしは数例発見されていますが、武寧王陵出土品以外に高井田山古墳出土品に似たものはなく、両者の強い関係が伺えます。ひのしは中国南朝で製作されたものと考えられ、百済を経由して日本にもたらされたのでしょう。二つのひのしは、同じ工房で造られたものではないかと思われます。
ひのしは珍しい出土品なので、マスコミの取材もよくあります。TBSの「世界不思議発見!」やNHKの「ガッテン!」で紹介されたこともありますし、韓国のテレビ局も数回取材に来られています。高井田山古墳を特徴づける出土品です。
(安村)
ひのし