【コラム】高井田山古墳ってどんな古墳? (4)二つの木棺・西棺

2023年3月23日

 玄室には木棺が納められていました。木の板を鉄釘で打ち留めて作られた組合式の木棺です。木など有機質のものは、一般には数十~数百年で腐ってしまって残りません。しかし釘は鉄製なので、錆びてボロボロになっていますが、残っていることが多いのです。そして鉄釘の出土位置から木棺の位置や構造をある程度復元することができます。高井田山古墳のようにほとんど盗掘を受けていない古墳では、より正確に木棺の位置を復元することができます。これによって、高井田山古墳には2基の木棺が安置されていたことがわかりました。木棺は現在の棺と同じように、寝て納棺するタイプのものです。石室の主軸に合わせて南北方向に長く、2つの木棺が並ぶように置かれていました。西側の木棺を西棺、東側の木棺を東棺と呼ぶことにします。
 西棺は盗掘によって一部が荒らされていたため正確に復元できませんが、鉄釘の出土位置から棺の長さは250cm前後、幅は75cm前後と考えられます。北頭位の左耳にあたる位置から純金製の耳環が1点出土しています。右耳の位置にもあったと考えられますが、残っていませんでした。西棺の南西部が盗掘を受けているので、右耳の耳環は持ち出されている可能性が高いと考えられます。仰向けに眠る被葬者の身体右側に沿って、鉄製の刀が1本置かれていました。柄部から刃部にかけて40cmを残すのみで、刃部尖端は残っていません。やはり持ち出されたと考えられ、長さ80cmとするとほぼ半分を失っていることになります。このほかにも持ち去られた副葬品があった可能性があります。
 純金製の耳環は1.36cm×1.40cmの大きさで、のちに紹介する東棺の金環よりもやや大きいものです。断面が円形の金の棒を円環状に曲げて作られています。
 鉄刀は刃部に平行する木目をもつ木質が部分的に残っており、刃は木製の鞘に収められていたことがわかります。柄の木質も部分的に残っています。
 西棺に伴うと考えられる鉄釘は、現存長15.3cmのものが最大で、実際の長さは18cm前後と考えられます。木目を残すものがあり、そのうちの1本は上半に横方向、下半に縦方向の木目が残っています。長いほうの側板からそれに挟まれた短いほうの側板(小口板)へ打ち込まれた釘と考えられ、そうであるならば長側板の厚さは5.8cmと復元できます。
 鉄製の鎹も西棺の位置から出土しています。棺材の一部を接合するために使用されたものでしょう。

(安村)

コラム4

二つの木棺と副葬品出土状況

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