【コラム】高井田山古墳ってどんな古墳? (2)位置と墳丘
奈良盆地の水を集めて流れる大和川は、大阪平野に流れ出すと急に流れを北へと変えます。その屈曲点の北に史跡高井田横穴公園があります。古墳時代後期の横穴が162基も密集している高井田横穴群を、史跡公園として整備し、公開しています。この公園内の北東隅、もっとも標高の高いところに高井田山古墳があります。標高は65m。公園の入口からは40m近く高い位置にあり、息を切らせながら登ることになります。現在は古墳のすぐ北まで住宅が迫っていますが、本来は北から続く細い尾根の先端の小高い地にありました。東・南・西は急な斜面となっており、樹木がなければ大和川を眼下に見下ろすことができる好立地になります。
高井田山古墳が位置する丘陵は高井田横穴群の第2支群に相当し、周辺下方には横穴が多数分布しています。高井田山古墳の年代は5世紀後半と考えられ、6世紀中ごろ以降の横穴群の形成までには100年近くの空白期間があります。よって、高井田山古墳と横穴との直接的な関係は想定できません。高井田山古墳の前後の時期の古墳もみられないため、高井田山古墳は単独墳として考えるべき古墳です。
直径22m前後の円墳で、北側に造り出し状の突出部をもつ可能性が考えられます。古墳のまわりに周溝がみられず、古墳の裾を明確にする地形の改変も行われていないので、墳形については明らかにできませんでした。
墳丘は花崗岩の風下した土層を削って整形し、上面を平坦にしています。その平坦面中央に墓坑を掘りこんで、横穴式石室を構築しています。石室下半は墓坑内に築かれ、平坦面より上に石室上半を構築しながら墳丘上半を盛土していったと推定されます。しかし、墳丘上半は調査前にすでに崩壊していたため詳細は確認できていません。
現状での墳丘下半の傾斜角度は25°前後で、墳丘の高さは5.5mです。石室の推定復元などから墳丘上半を復元すると、墳丘傾斜角は30°前後、墳丘高は8m前後になると推定されます。傾斜が変化する部分がみられないことから段築はなかったと考えられます。細い尾根上に築かれているため、墳丘の崩壊は早かったのではないでしょうか。現地に立つと、現状より2m以上も高い墳丘を想像することはできません。葺石はなく、墳頂部には埴輪が立てられていたと考えられます。
(安村)
高井田山古墳の墳丘