【コラム】高井田山古墳ってどんな古墳? (1)調査と保存

2023年3月16日

 高井田山古墳は、史跡高井田横穴公園の北東隅、史跡公園内で最も標高の高いところにある古墳です。大阪府教育委員会が平尾山古墳群の分布調査を実施した際に、平尾山古墳群高井田支群第2支群56号墳、円墳として記録されました。それ以降、高井田横穴群内唯一の円墳として遺跡地図にも記載されてきました。しかし、平尾山古墳群の古墳ならば横穴式石室と推定されますが、土砂がかなり流失しているにもかかわらず、横穴式石室に伴うと考えられる巨石の露出等はみられませんでした。また、横穴式石室採用以前の古墳ならば埴輪をもっているはずですが、周辺を観察しても埴輪はみられませんでした。ほんとうに古墳なのだろうか?という疑問をもっていました。
 1980年代に高井田横穴群周辺の区画整理事業が実施されることになり、遺跡の保存協議を進める一方、事業対象地の発掘調査にとりかかることになりました。その過程で、横穴群が確認されている大半の範囲は保存するが、横穴群西側の道路建設は認めることになりました。これが現在のJR高井田駅前から史跡公園の西側を通る道路です。そして、当初は第2支群56号墳(高井田山古墳)は開発予定地に含まれていました。しかし、古墳の可能性が高いので保存範囲を拡張し、推定墳丘部分をすべて保存範囲とするように事業者に求め、再三の交渉の結果、保存範囲拡張を了承してもらいました。先述のように古墳と断定できるものではなかったのですが、少しでも保存範囲を拡大するための交渉でした。
 このようにして保存された範囲を平成元年度から3年度にかけて、史跡公園として整備することになりました。平成2年には、保存区域全域が国史跡に追加指定され、史跡面積は1,400平方メートルから35,000平方メートルと大幅に広がりました。
 古墳の調査は平成2年11月に始まりました。表土を剝ぐと板石が並んでいることを確認し、当初は竪穴式石室、つまり前期古墳ではないかと考えていました。ところが掘り下げるにつれて、初期の横穴式石室であることが確認され、ひのしや銅鏡などさまざまな副葬品が大量に出土することになりました。名称も小字名から高井田山古墳とすることにしました。
 あのとき事業者と口論しながらも保存範囲を拡大しておいて良かったとつくづく思います。もし開発区域に入ったままであれば、事前の緊急調査でどこまで調査ができたか。また保存ができたかどうかも危ういところです。今になって胸をなでおろしています。

(安村)

コラム1

高井田山古墳の位置(1977年)

【コラム】高井田山古墳ってどんな古墳?
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