【コラム】大和川のつけかえ ほんとうの理由は?(8)理由7 むだのない工事をおこなった。
幕府は工事費ができるだけ少なくなるように、工事の方法もよく考えていました。地面を掘り下げるのは同じ土量の盛土を行うよりも約2倍の人が必要になり、それだけ費用もかかります。できるだけ掘削箇所を少なくしたかったのです。また工事で土が余れば、その土を捨てるのにも費用がかかります。そのため新しい大和川の川底をできるだけ掘らずに、もとの地面をそのまま川底とすることにし、どうしても掘り下げなければならないところだけ掘り下げることにしました。そして、堤防をつくるのに必要な土の量と、掘り下げた土の量が、ほとんど同じになるようにしました。そうすれば無駄がありません。そのため工事に入る前に綿密な測量をし、積算してから工事にかかりました。
測量は姫路藩が川下から着手していましたが、姫路藩撤退のあと幕府が引き継いで測量を行っています。水平を基準として、基準線からどれだけ下がっているかを測量し、付け替え予定地の断面図を作製しています。中家文書にも「地形高下之事」という断面図が残されています。この図には川底の計画線が記入されており、それが原地形とほぼ一致しています。原地形のほうが高くなっているところ、つまり掘り下げが必要となるところは、瓜破台地と上町台地の部分だけです。
中家文書には、「川違新川普請大積り」など工事の設計書が2通残されています。これによると、二つの台地の掘削土と南堤に沿って掘削する落堀川の掘削土の合計と、新川両岸の堤防に必要な盛土量がほぼ一致しています。掘削土と盛土の量を一致させれば、残土処分などの費用が不要となります。
このように、効率的で無駄のない工事を実施したようです。それは早く、安価な工事でもあるということです。もし工事費が多くなれば各藩の負担をさらに重くするか、幕府がその費用を負担することが必要となります。それを避けるために、念入りな測量と設計を行っていたのです。
(安村)
地形高下之事(中家文書)