【コラム】聖徳太子と柏原 (5)聖徳太子と送迎道

2022年4月26日

 柏原市国分東条町から王寺町の明神山へ登り、畠田へ下る道を送迎(ひるめ)道といいます。聖徳太子を地元の人たちが送迎した道だと伝えられています。蛭目とも書かれますが、送迎で「ひるめ」とは読めないでしょう。どうしてこのような名称になったのか不思議です。聖徳太子が通った道だとも、太子の墓への道だとも言われますが、太子が険しいこの道を利用したことは考え難いでしょう。
 柏原市国分の東、河内国分寺跡からさらに東へ進むと金属鉄工団地があり、金属関係の工場が集まっています。ここから明神山へ登る道が送迎道で、江戸時代には盛んに利用された道なのですが、現在は途中で辿ることができなくなっています。かなり傾斜の強い道で、高さ273.7mの明神山を越える道は、古くから地元の人たちが利用することはあったかもしれませんが、官道ではありえないと思います。古代の官道は、なだらかな傾斜地を、できるだけ直線でたどる道だったのです。
 送迎道は、江戸時代後期に「ええじゃないか」と称した伊勢参りが流行した際に、大勢の人によって利用された道です。文政13年(1830)に、明神山にお札が降ったことによって、明神山山頂近くに送迎太神宮が設けられました。この太神宮に参って伊勢へ参ることが流行し、大勢の人で賑わったということです。聖徳太子の送迎とは、それ以前からあった話なのでしょうか。よくわかりません。
 現在、明神山はビュースポットとして有名になり、ハイキングを楽しむ人で賑わっています。頂上からは四方を見渡すことができ、ほんとうに絶景です。古代から利用されたのではないかという説もありますが、官道として利用されたとは考えられない道です。

(安村)

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