【コラム】大和川つけかえに反対した人たち (7)天和3年4月23日付け反対嘆願書
太田村の柏原家文書に、「乍恐御訴訟申上候」という付け替え反対の嘆願書があります。そこには、「四月廿一日傍示筋并南表迷惑仕百姓共ニて御座候」とあります。21日に傍示杭が打たれたことがわかります。「今度河州志紀郡舟橋村より摂洲住吉郡田辺村夫より安立町海手へして摂洲東成郡阿部野村口田谷へと傍示御指被為成候ニ付、驚迷惑ニ奉存候」と傍示のコースが示されています。それまでになかった新たなコースであることは前回紹介したところですが、これに対する反応は早いものでした。その二日後には、このような反対嘆願書が出されたのです。
嘆願書を提出したのは、舟橋村、北条村、柏原村、大井村、西弓削村、沼村、田井中村、太田村、南木本村、西木本村、北木本村、六反村。東出戸村、西出戸村、長原村、吉留村、辰巳村、東喜連村、中喜連村、西喜連村、竹渕村、南田辺村、松原新田、狭山新田、安部野村、寺岡村、住道村で、新たなルートに沿った村々です。
この嘆願書では、新川の南側は排水不良地となること、新川ができれば河口が土砂で埋まり船が出入りできなくなること、たとえ付け替えが行われても旧川筋に新田ができるはずがないことなどを訴えています。そして、船が出入りできず大坂・京・伏見の町人が困ることや、付け替えるよりも大坂町中の川浚えが必要ではないかと提案しています。後半の部分は、これまでの付け替え反対の嘆願書ではみられなかったものです。
実は、天和3年の検分の結果、やはり付け替えは不要で、安治川の開鑿など淀川河口の拡幅などが行われることになりました。これは、検分に同行していた河村瑞賢の考えに基づくもので、その工事も瑞賢が請け負うことになりました。瑞賢は船の便や大坂町人を重視していたようです。4月23日の嘆願書の内容は、この瑞賢の方針に一致しています。嘆願した村々は瑞賢の考えを知っていたのではないでしょうか。そしてその考えを取り入れることによって、なんとか付け替え工事を中止させようと考えたのではないでしょうか。この嘆願書がどの程度の効果があったのかわかりませんが、今回も付け替え不要となったのです。 (安村)
つけかえに反対した村々