【コラム】世界かんがい施設遺産 長瀬川と玉串川 (5)「大和川分水築留掛かり」の維持管理

2021年5月31日

 「大和川分水築留(つきどめ)掛(か)かり」の用水は、流域78か村によって結成された築留樋組によって維持管理されていました。当初は68か村だったようですが、正徳2年(1712)に78か村となったようです。渋川郡の横沼村、三ノ瀬村、長堂村は荒川村に含めて数えられたため、75か村ともされています。のちに大縣郡の平野村、大縣村、太平寺村が加わって81か村となりました。
 各村は、この用水路にさらに樋(ひ)を設けて自分たちの村に取水するのですが、その樋の大きさは各村の石高によって決まっていました。不公平にならないように、石高に比例して樋の大きさを決めていたのです。二俣で西用水井(い)路(じ)(長瀬川)と東用水井路(玉串川)に分水されましたが、ここでもそれぞれの井路を利用する村の石高の総計によって、分水箱の大きさが決められていました。
 このように厳しく取水方法が定められていたのですが、それでも不満をもつ村々がありました。下流の村々では、上流の村々が取水したあとで十分に用水を得ることができなかったからです。同じ条件ならば、下流の村々が不利になることが多かったのです。そのため、上流から下流へと石高に応じて樋を段階的に大きくするように変更されるということもありました。
 取水方法以外にも、普段の維持管理や樋が破損した場合の費用分担など、細部にわたる取り決めのもとに築留樋組は運営されていました。そして、幕府に要望をすることもありました。各村の公平ということを重視していたようです。この築留樋組はその後も続けられ、現在の築留土地改良区へと続いています。 (安村)

(5)築留・青地樋用水組合村々絵図(5)築留・青地樋用水組合村々絵図築留・青地樋用水組合村々絵図〔当館所蔵小山家文書〕

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