【コラム】大県誕生から1,300年(9)大県周辺を歩いてみよう!

2020年11月20日

 それでは、大県周辺の文化財について紹介しましょう。
 まず、中心となるのは、鐸比古鐸比売(ぬでひこぬでひめ)神社です。平安時代の『延喜式』という書物に記された神社を式内社といいますが、鐸比古神社と鐸比売神社が式内社としてみえます。祭神は鐸比古命と鐸比売命です。古い神社には、「ヒコ」「ヒメ」という男女が対になることがありますが、大県郡には、ほかにも若倭彦・若倭姫神社と金山彦・金山媛神社があります。鐸比古鐸比売神社は、もとは背後の高尾山にある巨石がご神体であり、巨石近くにあった神社を現在地に降ろしたものです。鐸比古命の「鐸」という字は、銅鐸などと使われるように鐘などを意味します。金属に関わる神と考えられます。鐸比古命は鐸石別命(ぬでしわけのみこと)と同一とされますが、全国で鐸石別命を祀っている神社は、岡山県和気町の和気神社と鐸比古鐸比売神社だけです。
 高尾山周辺は弥生時代の高地性集落でもあります。弥生時代の人々は、普通は平地に住んでいるのですが、何らかの事情で高いところに住むことがありました。そのような住居跡を高地性集落といいます。高尾山高地性集落は、戦争の際に逃げ込む場所だったのでしょうか。それとも信仰に関わる遺跡だったのでしょうか。高尾山の斜面から多鈕細文鏡が出土しています。銅鏡の裏面に紐を通す孔(鈕)が二つあり、細かい文様があるので多鈕細文鏡といいます。日本では数面しか出土しておらず、その中でももっとも美しく、もっとも大きい鏡で、現在は東京国立博物館に所蔵されています。
 鐸比古鐸比売神社の裏山、高尾山までのあいだに高尾山創造の森があります。水仙の名所として有名です。この公園内に数基の古墳が保存されています。そして、周辺を含めて、東山には古墳時代後期(6世紀)の小規模な古墳が多数築かれています。その多くは石を積み上げた横穴式石室を主体部とします。このような小規模な古墳が多数集まっている古墳群を群集墳といいます。柏原市東山一帯に広がる群集墳を平尾山古墳群といい、これまでに1,400基以上の古墳が確認されている全国最大規模の群集墳です。
市立堅下小学校周辺には、古墳時代後期(6世紀)を中心とする鉄製品を作っていた全国最大の鍛冶遺跡があります。大県遺跡と呼んでおり、鉄製品を作るための鍛冶炉や製作に伴う多数の遺物が出土しています。堅下小学校南西角に説明板があります。
 大県遺跡は縄文時代から続く遺跡ですが、柏原市内最古の縄文時代早期(約10,000年前)の土器も発見されています。堅下小学校の南に河内六寺の一つとされる大里寺跡があり、その周辺には6~7世紀を中心とする村の跡が広がっています。大県周辺は、多彩な歴史に彩られたところなのです。

(安村)

大県コラム写真鐸比古鐸比売神社

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