【コラム】大県誕生から1,300年(1)大県誕生から1,300年
柏原市に、「大県(おおがた)」という地名があります。この「大県」という地名が誕生して、今年(令和2年、2020年)で1,300年になります。「大県」は、そんなに古い地名だったのですね。では、どうして地名の誕生がわかるのでしょうか?
奈良時代の国のできごとを記録した『続日本紀(しょくにほんぎ)』という書物があります。『日本書紀』に続いてつくられた、日本の正式な記録書です。その養老4年(720)11月27日のところに、「河内国堅下・堅上二郡、更号大縣郡」と書かれています。これは、「河内の国の堅下郡と堅上郡の二つの郡を合併して大縣郡という名称にした。」ということです。後半は「あらためて大縣郡と号す。」と読むのでしょう。「大縣」には「オホガタ」とふりがながふられています。「大縣郡」は正式には「おおがたのこおり」と読みますが、通常は「おおがたぐん」と言います。大県郡の範囲は、現在の柏原市北東部の堅上・堅下地区にあたり、八尾市の神宮寺まで含んでいたと考えられます。
この記録によって、「大縣(県)郡」の誕生したのが720年の11月27日だということがわかるのです。「大県」という地名が誕生したのもこのときということです。つまり、今年の11月27日で「大県」誕生から1,300年ということになります。古代の地名が今も残るところはたくさんありますが、地名が誕生した日までわかる例はほとんどありません。「大県」という地名が歴史的に古い地名であるというだけでなく、誕生した日までわかるというのはすごいことなのです。みなさんとともに、大県誕生から1,300年を祝いたいと思います。
『続日本紀』には「縣」という文字で書かれており、江戸時代まで「縣」と「県」のどちらも使われていました。「縣」と「県」は、もともとは別の意味をもった文字でしたが、次第に「県」は「縣」の略字として使われるようになり、すでに奈良時代でも両方使っています。江戸時代まで正式な表記としては「大縣」を、通常は「大県」を使っていたようです。「大縣」「大県」どちらでもいいということなので、ここからは、みなさんになじみの深い「大県」という書きかたでコラムを続けていきたいと思います。
(安村)
『続日本紀』養老四年十一月二十七日条(『国史大系・続日本紀』より)