【コラム】大和川のつけかえ(5)5回目の付け替え検分

2022年2月25日

 天和3年(1683)2月から閏5月にかけて、幕府役人らによる畿内一円の大規模な巡見が実施されました。稲葉石見守正休、大岡備前守清重、彦坂壱岐守重紹の幕府役人に、土木や治水に見識のある伊奈半十郎、河村瑞賢らが同行していました。
 巡見コースは、新井白石の『畿内治河記』に記されています。3月に京都を出発した一行は、賀茂川、白川、桂川をまわり保津川を遡って嵯峨へ下り、淀、鳥羽、伏見と淀川を下って大坂へ。大和川を亀の瀬まで遡り、深野池・新開池まで下り、天野川・徳庵川・鯰江川など周辺の小河川を見たうえで備前島、片町、京橋と大坂市中をまわり、平野川を遡って猪飼野小橋から狭山池まで上り、下って瓜破、依羅池、手水橋と付け替えが検討されている地をまわっています。さらに、船で中津川、神崎川、尼崎、堺、住吉、大坂とまわり、石川を赤坂まで、亀の瀬をまわって生駒、初瀬、奈良、木津、宇治、石山、瀬田とまわって京都へ帰って巡見を終えています。大変な移動距離に驚きます。一行の目的は畿内一円の治水対策だったようですが、大和川の付け替えが大きな課題だったことは間違いないようです。
 稲葉正休は付け替えを考えていたようですが、河村瑞賢は不要と考えていました。付け替えが必要かどうか、ずいぶん検討されたようですが、結局は瑞賢の意見が取り上げられ、付け替えではなく、淀川河口を中心とした治水工事を実施することになりました。瑞賢は、山林乱伐の禁止、植樹の奨励という従来の見解とともに、流域に開かれている新田の堤を取り除き、河原の葦などを刈り取り、淀川の河口を広げれば、大和川の洪水はなくなると主張しました。付け替えをすると、川床が高くなり、船の運航が困難となるなど取るに足らない策だと決めつけました。その結果、翌年から瑞賢が淀川河口の九条島を開鑿して安治川を開くなどの工事を実施することになりました。
 この検分の際に、付け替えを検討するために新川の牓示がなされ、付け替え反対運動が行われました。4月23日に嘆願書が出されていたことがわかっていたのですが、このたび4月18日付けの新たな嘆願書が確認されました。その内容については、次回に紹介することにしましょう。

(安村)

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