【コラム】龍田古道(9)『万葉集』と龍田古道
上宮聖徳皇子、竹原井に出遊でましし時に、竜田山の死人を見悲傷して作らす歌一首
家ならば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥やせる この旅人あはれ【巻3-415・聖徳皇子】
これは聖徳太子(厩戸皇子)の歌である。竹原井は竹原井離宮付近のことであろう。
難波に経宿りて明日に還り来る時の歌一首 幷せて短歌
島山を い行き巡れる 川沿いの 岡辺の道ゆ 昨日こそ 我が越え来しか 一夜のみ 寝たりしからに 尾の上の 桜の花は 滝の瀬ゆ 散らひて流る 君が見む その日までには 山おろしの 風な吹きそと うち越えて 名に負へる社に 風祭りせな
反 歌
い行き逢ひの 坂のふもとに 咲きををる 桜の花を 見せむ児もがも【巻9-1751・1752・高橋虫麻呂】
龍田道から大和川沿いの桜を詠んだ歌である。龍田道が桜の名所だったことがわかる。また、風の神である龍田大社の神に桜を散らさないでくれと祈ろうという歌であり、風の神としての信仰がわかる。島山は大和川が湾曲する芝山のことであろう。
海の底 沖つ白波 竜田山 いつか越えなむ 妹があたり見む【巻1-83・長田王】
人もねの うらぶれ居るに 竜田山 御馬近付かば 忘らしなむか【巻5-877・山上憶良】
妹が紐 解くと結びて 竜田山 今こそもみち はじめてありけれ【巻10-2211】
秋されば 雁飛び越ゆる 竜田山 立ちても居ても 君をしそ思ふ【巻10-2294】
これらの歌は、大和への思い、妻への思いなどとともに、龍田山を大和と外界を隔てる山として詠んだ歌である。これら以外にも龍田山やその周辺の風景を詠んだ歌が多い。
(文責:安村俊史)
芝山-『万葉集』に詠まれた「島山」とは「芝山」のことだろう。