2020年のスポット展示
2020年(令和2年)
1~2月 『こんなモノをいただきました・暖房用具』
ちょっと昔にあった冬の必須アイテム、陶器・ブリキ製の「湯たんぽ」、「ハクキンカイロ」、「長火鉢」を展示しました。
3~4月 『こんなモノをいただきました・おひなさん』
毎年恒例の「御殿雛」、「雛道具」を展示しました。
5~6月 『こんなモノをいただきました』
荷物を運ぶ道具「もっこ、天秤ぼう」と、昔の金庫「銭箱(ぜにばこ)」を展示しました。
7~8月 『こんなモノをいただきました』
展示の資料は、船橋遺跡から採集された土器や石器です。
市内を流れる大和川は、宝永元年(1704)の付け替え工事によって、現在の流れになったことはよく知られていますが、船橋遺跡はその付け替え工事によって河床となった遺跡です。大雨で大和川が増水すると土砂が流され、土中の土器や石器などが露わになり、そうした遺物が多数採集できる遺跡として全国的に知られていました。現在は護岸整備がされ、採集はできません。
数多くの採集された資料から、船橋遺跡では縄文時代から江戸時代にいたるまで、非常に長い間人々が暮らしていたことがわかっています。奈良時代には河内国府があったとする説もあるなど、重要な場所であり、住みやすい環境だったのでしょう。
展示の資料は、個人の方が収集し寄贈いただいた約150点の資料の主要なもので、縄文時代、弥生時代、古墳時代の各時代の土器のほか、市の指定文化財になっている縄文絵画土器も展示しました。
9~10月『こんなモノをいただきました』
「ワインだけじゃない!柏原産の日本酒」というテーマで、酒造りに関係する道具を展示しました。
左側には、酒を仕込む大樽に引っ掛けて使う「桶台」、沸かしたお湯を入れて酒の発酵を調整する「暖気樽(だきだる)」が置かれています。右側のガラスケースにあるのは、酒屋で量り売りの時に使う「通い徳利」と「通い樽」のほか、ガラス瓶に栓をするための「王冠」と「打栓機(だせんき)」です。
さらに壁には、ガラス瓶に貼る「封印シール」や「胴ラベル」といったラベルがならんでいます。現在、柏原といえばワインが知られていますが、良質な水が湧き、良い米や燃料となる木材が豊富だったこの地域では、かつての奈良街道沿いに造り酒屋が立ち並び、各店でその味を競っていたそうです。展示資料は、実際に酒造りをされていた方から寄贈いただいたもので、往時の様子を知る貴重な資料といえるでしょう。
なお今回の展示は、博物館実習の一環として、京都芸術大学、近畿大学の大学生6名が、展示構成、パネル作成などを担当しました。
11~12月『こんなモノをいただきました』
市内で商店をされていた方より寄贈の「看板」を展示しました。
お店の宣伝、広告などに使われる看板は、今でももちろん目にしますが、ちょっと昔は木製やブリキ製の看板もよく見かけました。1905~1981年の間、商店で実際に掲げられていた看板など20点を寄贈いただいていますが、今回はそのなかの3つの看板を紹介しています。
「富国徴兵保険相互會社」は現在のフコク生命の昔の会社名で、1945年まで使われていました。名前にある徴兵保険とは、徴兵制によって20歳以上の男子が兵隊に取られてしまうと、くらしに困る家庭が数多くあったため、兵隊になった当人やその家族に一定の保険金を支払う保険のことです。
「貝印灯油」は、1900年に設立されたライジングサン石油株式会社が販売していた商品で、1966年に 「シェル灯油」と商品名を変えているので、それ以前の看板といえます。この会社は1948年にシェル石油、1985年に昭和シェル石油、2018年に出光昭和シェルへと社名が変更されていますが、よく目立つ「貝印」は今でも会社のトレードマークに使われています。
「加冨登ビール」は愛知県半田市で作られていたビールで、東海地方を中心に人気があり、かつては「サッポロ」、「キリン」、「ヱビス」、「アサヒ」にならぶ日本5大ビールのひとつでした。1943年に生産を終えましたが、現在も半田市に残る旧カブトビール工場は、「半田赤レンガ建物」として国の登録有形文化財、近代化産業遺産になっており、まちづくりや観光の拠点として活用されています。