青谷遺跡で発見された遺構

2018年11月25日

建物1

建物1平面図
建物1平面図(柱間は推定)

建物1
建物1

 建物1は正殿のような中心的な建物と考えられます。基壇の規模は、東西20.9m、南北12.9mです。

 南辺に地覆石(じふくいし)と考えられる凝灰岩が一部に残り、凝灰岩による切石積基壇であったことがわかります。延石(のべいし)はみられず、地覆石の大きさは50×20×20cm前後です。その上面にはほぞ穴がみられ、上にのる石材との結合を強める細工がされています。南辺中央の階段に伴うものかもしれません。

檀上積基壇
基壇の一例(坪井清足『飛鳥の寺と国分寺』1985より)

建物1地覆石
建物1地覆石

 基壇は地山上に良質の土を積み上げて築かれており、版築等は認められません。基壇の上面は大きく削平され、礎石やその抜き取り穴などはまったく確認できていません。しかし、建物1の北と西に取り付く石敷通路の位置と幅を基に復元すると、桁行中央間が3.8m、他は3.3mの桁行5間、梁行は2.2m等間隔の4間と推定されます。この復元によると、建物の規模は桁行17.0m、梁行8.8mとなります。

 基壇の周囲には、側壁に直方体の塼を使用し、底に扁平な自然石が敷かれた幅36cmの雨落溝がめぐっています。そして西辺の南半のみ凝灰岩の切石が底に敷かれていました。内側の塼は地覆石に接し、外側の塼のさらに外側には30cm前後の自然石が押えとして置かれています。非常に手の込んだ雨落溝です。

建物1雨落溝
建物1雨落溝

周辺からは大量の瓦が出土しています。雨落溝の外側には、細かい礫が敷き詰められています。

建物2

建物2平面図

建物2平面図(柱間は推定)

 建物2は建物1の北にあり、東西にのびる建物です。南辺を溝1、北辺を溝2、西辺を溝5によって画されます。溝は自然石を立てて側石とし、溝1は底にも自然石を敷いています。

 南北長が約4.0m、東は調査地外に続くため確認できず、東西長は28m以上です。梁行は2.2mの1間、桁行柱間寸法は2.8m以上で9間以上です。

 南柱列は40~80cmの大きさの上面が平らな自然石を礎石とし、北柱列は直径1m前後の掘立柱です。礎石と掘立という変則的な構造の建物とも考えられますが、北列の掘立柱柱穴には多数の瓦片が含まれています。おそらく当初の遺構ではなく、瓦葺き礎石建物を掘立柱の板塀などに改築したと思われます。柱の直径は30cm前後のようです。当初の建物が梁行1間であることから、建物1の回廊かもしれません。礎石が小さく根石などもみられないことから、瓦葺きでも高さの低い回廊だったと考えられます。

建物2掘立柱穴
建物2掘立柱柱穴

建物3

建物3平面図

建物3平面図(柱間は推定)

 桁行が3.3m等間隔の9間、29.7m、梁行が3.0m等間隔の2間、6.0mの建物と復元されます。東柱列には礎石が1個残るのみで、中央の柱列には礎石の抜き取り痕跡も確認できていません。やはり西柱列のみが掘立柱であり、当初の礎石建物を板塀に改築したのでしょう。回廊とすれば複廊になります。

建物3北東から
建物3(北東から)

その他の遺構

 建物2の北に、東西にのびる石列がみられ、幅60cmの間に石を敷き詰めています。石列に先だって浅く掘りくぼめて整地しており、整地土内には瓦を含んでいます。築地の基礎と考えられ、やはり改築に伴う遺構でしょう。

石列北から
石列(北から)

 また、建物2と3は溝5で画されますが、この溝5に平瓦を使用した暗渠遺構がみられ、埋められた部分によって建物2と3が連接していた可能性が高いです。

※暗渠…地中に埋設された河川や水路。

暗渠の瓦
暗渠に使用された瓦

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