柏原と明治維新10

2018年8月13日

亀瀬新道

 江戸時代に、大阪方面から奈良街道を奈良へ向かうと、国豊橋のところで大和川を右岸から左岸へ渡らなければなりません。そこから東へ進むと、芝山の東で再び左岸から右岸へと大和川を渡らなければなりませんでした。古代からこのルートが基本だったと考えられます。高井田・青谷間の右岸、青谷・藤井(王寺町)間の左岸には、岩盤が大和川に迫っており、道をつけることができなかったからです。

 しかし、二度も大和川を渡らなければならないのは不便です。そこで、高井田・国分間には国豊橋が架けられました。さらに、国分から大和川の左岸をそのまま進み、大和の藤井まで大和川に沿って亀瀬新道という道路が開かれました。これが、現在の国道25号の前身です。左岸には、それまでも山中に入る道はあったのですが、川沿いならば起伏もなく、荷車も楽に通行できます。それは、岩盤が大和川へと落ち込む亀の瀬という難所を切り開く大工事でした。

 明治5年4月に政府に嘆願が出され、許可がおりたのち、明治5年8月に着工しました。工事は国分村や大和の藤井村の人たちが協力し、1年7か月をかけて明治7年3月28日に開通させることができました。幅1丈3尺(3.9m)のほぼ平坦な道路が完成しました。これで、大阪・奈良間の通行は格段に便利になりました。これが大和川を運航していた剣先船、魚梁船の衰退に拍車をかけ、鉄道の開通によって舟運は終えられることになりました。

 大阪から奈良へ向かうときに国道25号を利用される方も多いと思います。ほかの峠越えの道路と違い、ほとんど起伏のない走りやすい道路です。この道路を開いたのも、大和川に橋を架けたのも地元の人たちだったのです。みなさんも、明治の人たちに感謝しながら利用してください。

(文責:安村俊史)

和州境界道図面
写真:「和州境界道図面」(堅山家文書)

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