柏原と明治維新4

2018年6月10日

高札

 江戸時代に、幕府や藩が民衆に知らしめるため、法令や禁令を墨で書いた板を掲示しました。これを高札(こうさつ)といいます。親子兄弟札、毒薬札、駄賃札、切支丹札、火付札の五枚の高札を基本とし、これに臨時的なものが加えられました。しかし、一般には切支丹禁制の高札以外は掲げられていないところが多かったようです。

 高札を掲示したところを高札場といい、町の辻や橋のたもとなど、人通りの多いところに置かれました。村では、村役人の家の前や村の中心に置かれました。柏原村の高札場は、現在の国道25号、本郷2丁目の本郷南の交差点を西へ100m余り入ったところにありました。これを文字の読める人が村人に読んで聞かせたようです。蛇足ですが、江戸時代のわが国の識字率は世界一だったとする研究があります。もちろん文字を読めない人もあったでしょうが、わたしたちが思う以上に、文字を読める人が多かったようです。

 慶応4年(明治元年・1868)3月15日に、新政府によって掲示された5枚の高札を「五榜(ごぼう)の掲示」といいます。民衆の心得として五つの事項を示したものでした。新政府は旧幕府の高札を撤去させて太政官による新たな高札を掲示したのですが、内容は旧幕府のものとあまり変わりませんでした。

 第一札は五倫の道の遵守や殺人・放火・強盗の厳禁、第二札は徒党・強訴・逃散の禁止、第三札は切支丹邪宗門の禁制、第四札は外国人への危害禁止、第五札は脱籍・浮浪の禁止という五枚でした。しかし、諸外国から切支丹禁止に非難が集中したこともあり、明治6年(1873)にすべて撤去されました。特集展示では、柏原村の第一札と第三札の高札を展示しています。

(文責:安村俊史)

五榜の掲示
写真:慶応四年三月の高札「五榜の掲示」(柏元家文書)

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