安福寺の夾紵棺4

2018年2月5日

安福寺の夾紵棺

 安福寺の夾紵棺が、どのようにして安福寺に伝わったのか、まったくわかっていません。先代の住職が寺の床下でみつけ、夾紵棺だとは知らずに床の間の花瓶台として使っていたということです。手ごろな漆塗りの板だと思ったのでしょう。まさか日本でもっとも残りのいい夾紵棺の一部とは思いもしなかったのです。

 昭和33年(1958)、関西大学が玉手山5号墳の発掘調査を行った際に、調査参加者は安福寺を宿舎としていました。そして、調査に参加していた北野耕平氏、勝部明生氏、猪熊兼勝氏らが、床の間に置いてあった漆塗りの板が、夾紵棺の断片であることを発見したのです。その後、猪熊氏によってこの夾紵棺が再調査され、「夾紵棺-玉手山安福寺蔵品に関連して-」(森浩一編『論集終末期古墳』所収)と題する論文にまとめられたのが昭和48年(1973)のことです。猪熊氏は、そのなかで、この夾紵棺が聖徳太子の棺の可能性があることをすでに指摘しています。

 さて、安福寺の夾紵棺は、長さ94cm、幅47.5cm、厚さ3cmの板状のものです。この夾紵棺について、京都芸術大学の岡田文男教授が調査され、45枚の絹で作られていること、製作地は日本と考えられることなどが報告されています(岡田文男「絹布を貼り重ねた漆棺の製作技術に関連して」『漆工史』第30号)。板の3辺に欠損がみられ、そのうちの2辺はほぼ直角に折れ曲がる部分で破損しています。もう1辺は折れ曲がる部分が確認できませんが、破断面が直線状となることから、これも直角に折れ曲がる部分と考えていいと思います。そうすると、高さ47.5cmの箱状の棺側面と考えることができます。安福寺夾紵棺の長さ約1mが棺の長さと考えるには短すぎるので、棺の小口部分の破片である可能性が高いと考えられます。

 猪熊氏の紹介後、終末期古墳の調査が次々と行われていたにもかかわらず、なぜか安福寺の夾紵棺はあまり話題になることがありませんでした。そのなかで、当館では平成22年(2010)夏季企画展「群集墳から火葬墓へ」で安福寺の夾紵棺を展示しました。これが、安福寺夾紵棺の初めての公開となりました。そして、翌年に柏原市有形文化財に指定しました。この展示をきっかけとして、その後、高槻市の今城塚古代歴史館、滋賀県立安土城考古博物館、国立歴史民俗博物館で展示されることになり、このたびのNHK歴史秘話ヒストリアの放送で、安福寺の夾紵棺が一躍有名になりました。

(文責:安村俊史)

夾紵棺外面
写真a:夾紵棺外面

夾紵棺内面
写真b:夾紵棺内面

夾紵棺上面
写真c:夾紵棺上面・絹の重なりがよくわかる

夾紵棺折曲がり部分
写真d:夾紵棺の折れ曲がる部分

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