安福寺の夾紵棺1
終末期古墳とは
柏原市玉手の安福寺に、夾紵棺(きょうちょかん)の一部が所蔵されています。夾紵棺とは、何枚もの布を漆で塗り固めて作られた棺です。この安福寺の夾紵棺が、平成29年(2017)10月13日放送のNHK歴史秘話ヒストリアで紹介されました。番組では、この夾紵棺が聖徳太子の棺の一部ではないかと注目されました。本当はどうなのか。そこで、この機会に安福寺の夾紵棺を展示し、その内容についてこの場で紹介したいと思います。まず、棺を中心に古墳時代終末期という時代について概観しておきたいと思います。
一般に、古墳時代は前期、中期、後期に区分されます。そのあとの7世紀は飛鳥時代と呼ばれますが、数が少なくなりながらも古墳が造り続けられていることから、7世紀を古墳時代終末期と呼び、その時期に造られた古墳を終末期古墳と呼んでいます。有名な高松塚古墳やキトラ古墳も終末期古墳です。
6世紀後半に爆発的に造られた古墳は、7世紀になると急速に少なくなります。それでもまったくなくなるのではなく、数が少なくなりながらも古墳が築かれています。また、前方後円墳も6世紀末で姿を消し、7世紀には円墳や方墳が造られています。天皇陵などには八角形の墳丘をもつ古墳もみられます。
死者を埋葬する石室や棺にも変化がみられます。横穴式石室は6世紀以来造り続けられますが、小規模な古墳では石室が小さくなり、やがて1棺だけを埋葬できる小さい竪穴式石室などに変わっていきます。一方で、大型の横穴式石室も7世紀中ごろまで造られています。また、横口式石槨という埋葬施設も登場します。横穴式石室は、通路にあたる羨道よりも死者を埋葬する玄室が広くなっているのですが、横口式石槨では、死者を埋葬する部屋(石槨)のほうが羨道よりも幅が狭くなっています。これは、1棺のみを埋葬するための施設だからです。
棺は、大型の古墳では家形石棺が6世紀に続いて造られますが、屋根部分が扁平になり、小型化するのが特徴です。そして、漆塗りの棺が出現します。ここでとり上げる夾紵棺も漆塗りの棺の一つです。
このように、大きく変化しながら、やがて終息へと向かう古墳時代の最後を飾る夾紵棺とは、どのような棺なのでしょうか。
(文責:安村俊史)