~天井川と洪水9~

2017年11月20日

今に残る大和川の風景

 旧大和川に営まれた新田には、畑が広がり、家もあまりありませんでした。そのため、明治以降に広い土地が必要な施設が次々とつくられるようになりました。大規模な工場や学校などの公共施設が主なものです。旧川筋は地下水も豊富なため、地下水を大量に利用する工場の立地に最適でした。柏原市と八尾市の市境付近には、数多くの工場が立地しています。また、学校もたくさんあります。大阪府立八尾高校や山本高校なども川跡にあります。花園ラグビー場も川跡にあります。大規模な住宅地となったところもあります。

 旧大和川の堤防上には、墓地や神社がたくさんありました。堤防は個人で所有することができないので、共有地となっていました。そのため、江戸時代には墓地や神社に利用されることが多かったのです。そして、今も墓地や神社が残っているところが数多くあります。そこには、旧堤防の高まりがそのまま残っていることも少なくありません。柏原市域でも、今町墓地は4mほどの高まりとなって残っています。地図の上で旧堤防らしきところをみると、墓地や神社をみつけることができます。そして、その墓地や神社の位置をつないでいくと、旧堤防の位置を復元することができます。それから現地へ行ってみると、やはり周囲より高い位置にあることが確認できます。ぜひ、試してみてください。

 堤防以外のところでも、旧大和川が天井川であったため、川だった部分が1~2mの高まりとなって残っています。ふだんは気がつかないような高低差なのですが、旧大和川の位置や川幅を確認することができます。そうです。歩いてみると、あちらこちらに旧大和川の痕跡が残っているのです。最近、微妙な高低差から、もとの地形を復元するのがブームとなっています。当館でも、かなり以前から、同様な方法で旧大和川を復元してきました。ぜひ、あなたも気をつけて歩いてみて、旧大和川をみつけてください。

(文責:安村俊史)

今町墓地
写真:今町墓地

お問い合わせ

文化財課
582-0015 柏原市高井田1598-1(歴史資料館内)
電話072-976-3430
ファクシミリ:072-976-3431