7-4.安福寺所蔵夾紵棺
夾紵棺(きょうちょかん)とは木または土を原型にし、それに布をあて、漆を塗りながら布を貼り重ねて造られた棺で、乾漆棺ともいわれています。表面は丁寧に黒漆などで仕上げられます。限られた終末期古墳にみられるもので、かなり高貴な人物の棺に用いられたとされるものです。柏原市有形文化財に指定されています。
その夾紵棺の一部が柏原市玉手の安福寺に所蔵されており、貴重な資料となっています。
安福寺
安福寺は尾張徳川家に関わりのある寺院で、さまざまな寺宝が伝えられています。夾紵棺もそのひとつで、昭和33年(1958)に、玉手山古墳群を調査中だった関西大学考古学研究室が、寺の床の間に飾っていた板状のものが夾紵棺であることを見つけ、猪熊兼勝氏によって紹介されています。もともと寺の床下にあったものを先代の住職が花瓶の台などにしていました。
安福寺夾紵棺(あんぷくじきょうちょかん)
安福寺夾紵棺の残存部は長さ94cm、幅47.5cm、厚さ3cmの板状のものです。
夾紵棺実測図(図出典:猪熊兼勝 1973 「夾紵棺」『論集 終末期古墳』)
断面からは、絹布に漆を塗って絹布を貼るという工程を何度も繰り返し、45枚もの絹を重ねていることがうかがえます。
夾紵棺剥離部
残存部の3辺には欠損があり、そのうちの2辺はほぼ直角に曲がる部分が破損しています。もう1辺はほぼ直線状であり、直角に折れ曲がる部分から、箱状の棺の1面と考えられます。すると幅の47.5cmが棺の高さで、これは棺の身ということになります。長さ94cmが棺の長さと考えるには短すぎるので、棺身の小口部分と考えられます。
※箱の身…一般的に上下二つに分かれるタイプの箱において、物を入れる下側になる方をいう。
※棺身の小口…棺の頭上面と足下面。
夾紵棺内面(左)と外面(右)
夾紵棺下面(左)と上面(右)
小口と考えると、他の夾紵棺に比べて幅(94cm)が長すぎるので、身の側面を切断したものではないかという説もありますが、不自然というほどの長さではないと思われます。
夾紵棺は聖徳太子のもの? 夾紵棺はこれまでに全国で7基の古墳から出土が報告され、その中で確実なのは、牽牛子塚(けんごしづか)古墳(奈良県明日香村)と阿武山古墳(大阪府高槻市)のみです。この2棺は、麻布を使用しています。牽牛子塚古墳は斉明陵、阿武山古墳は藤原鎌足墓と推定されています。つまり、夾紵棺を使用できる人物は天皇クラスに限られていたことになります。 安福寺夾紵棺は麻よりも高級な絹を使用し、大きさも復元が正しいとすれば夾紵棺で最大のものです。これは誰の棺だったのでしょう。 安福寺の周辺には終末期古墳は確認されていないため、一説として聖徳太子のものとされる叡福寺北古墳が浮上しています。棺台の大きさは長さ242cm、幅109.5cmで安福寺夾紵棺の大きさとも合うことや、江戸時代に叡福寺と安福寺の交流があったこともあげられています。ひとつの可能性として考えていいのではないでしょうか。 |
古墳時代の棺 【木棺】 木質が腐朽するため残存状況が悪いのですが、墓壙の形や木棺を安置した粘土床の様子から形状を推察することができます。 形状 【石棺】 形状 ・長持形石棺 ・舟形石棺 ・家形石棺 【その他】 埴輪棺や陶棺もあり、終末期には夾紵棺、漆塗木棺、漆塗籠棺なども現れました。 |