亀の瀬こぼればなし(1)

2015年2月10日

 奈良県から大阪府へと流れる大和川。その府県境付近を「亀の瀬」といいます。大和川の川幅がもっとも狭く、流れも速くなっており渓谷としての景観を生み出しています。JR関西本線(大和路線)で通過するとき、車窓からの眺めにやすらぎを覚える人も多いことでしょう。

 ではこの地が、いつごろから「亀の瀬」と呼ばれるようになったのでしょうか。『続日本紀』や『万葉集』など、奈良時代の文献には「亀の瀬」の名称を見ることはできません。この付近の名称として見えるのは、「竜田山」です。

 今のところ、「亀の瀬」の名称を確認できるもっとも古い文献は、平安時代末期に成立した『扶桑略記』です。そこには、治安3年(1023)10月に、藤原道長が法隆寺から竜田道を経て道明寺へ向かったことが記されています。そして、「亀瀬山之嵐、紅葉影脆、龍田川之浪、白花声寒」という漢詩が詠まれています。ここでは亀瀬山とあるだけで、渓谷のことを亀の瀬と呼んだと決めつけることはできませんが、おそらく亀の瀬付近の山を亀瀬山と呼んだのでしょう。

 どうやら「亀の瀬」と呼ばれるようになったのは、平安時代の中ごろのようです。ちなみに、この漢詩にみえる「龍田川」は、斑鳩の西方を流れる竜田川のことではなく、大和川のことです。この歌だけでなく、亀の瀬付近の大和川は、古代から江戸時代まで龍田川と呼ばれており、桜や紅葉の名所としてよく知られていました。現在の竜田川は、平群川に有名な竜田川の名称を与え、紅葉を植えて名所としたものです。

(文責:安村俊史)

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