【広報コラム】「田輪樋(たのわのひは)すごい」(2024・9)

2024年9月3日

 今年度の当館 夏季企画展では、江戸時代前期の寛永年間(1624~1643)、大坂定番(じょうばん) 稲垣重綱(いながきしげつなが)領主をつとめていた時代に、国分村の土豪 東野猪右衛門(いえもん)によって開削された「田輪樋」に注目しました。
 「樋(ひ)」とは、水を送り流すための管、およびそれを制御する水門のことをいい、乾いた土地に水を引き込む「用水樋(ようすいひ)」と沼地から水を排出する「悪水樋(あくすいひ)」がありますが、田輪樋は後者で、元々洪水のときに大和川から流れ込んだ水や谷水がたまる場所だった現在の国分市場2丁目から国分東条町の北西部にかけてのエリアを干拓し、当地に豊かな農地をもたらしました。樋管は全長224mにおよぶトンネルで芝しばやま山の地下をくぐり、大和川に直接排水される構造になっています。昭和25(1950)年のジェーン台風で大破しましたが、翌年、新しいトンネルが掘り直され、現役で稼働しています。
 そんな「田輪樋」ですが、色々と「すごい」存在です。まず、今日まで380年以上にわたって、地域の人々の生業・暮らしを支え続けている点が挙げられます。そして、歴史的にみると、日本史上かなり古いトンネルであることが史料上明らかである点、四方を木枠で囲んだ、頑丈な内部構造をもつ点も「すごい」です。戦国時代~江戸時代初期の日本は、佐渡島や石見など、金銀の豊富な産出で一躍世界に名をとどろかせ、国が豊かになりましたが、こうした鉱山で培われた掘削技術が、田輪樋にも生かされたのでしょう。田輪樋は、本市がほこる知られざる土木遺産です。

▲田輪樋 入口付近

▲田輪樋 入口付近

(2024年9月号掲載) 

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