【広報コラム】「馬に願いを」(2024・6)
2024年8月20日
日本で馬が一般的に広まるのは、古墳時代中期の5世紀以降といわれています。様々な技術とともに、海を渡って朝鮮半島からもたらされました。当時の馬の体高は120cm前後で、ポニーよりもやや小さな体です。ただ一般的になったとはいえ、一部の有力者しか乗ることができない貴重品でした。権力の象徴だった馬ですが、時代とともにその性格は変化していきます。
市内の太平寺遺跡から土馬(どば)と呼ばれる馬の形をした土製品が見つかっています。破片も含めて5個分の土馬があり、その内の2個は全体の形状が復元できました。高さ約15cm、頭部は円形の粘土を二つ折りにしてバナナに似た形状で表現され、目は竹管のようなもので丸い形にスタンプされていました。キョトンとした何とも言えない表情です。時期は8世紀の奈良時代で、船橋遺跡や高井田遺跡でも同時期の土馬が見つかっています。
土馬については、天候に関係する儀式に使われた道具と考える説があります。奈良時代の史書「続日本記(しょくにほんぎ)」に、長雨には白馬を、日照り続きには黒馬を神社に奉納した、という記載があります。白馬は晴天のなかの白い雲、黒馬は雨を降らせる黒い雲を暗示しているとみられ、奈良時代には馬と天候を結び付けて考えていたことが読み取れます。土馬は、生きた馬の代用品として神様に捧げられたのかもしれません。
梅雨や夏に向けて、大雨や酷暑のない、土馬が不要な天候になることを祈ります。
▲太平寺遺跡の土馬
(2024年6月号掲載)
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