【コラム】大和川のつけかえ(7)天和3年の混乱

2022年2月25日

 前回紹介した天和3年4月18日付けの「川違迷惑之御訴訟」に、推進派の非法行為を訴えた一文があります。深野池・新開池を役人が検分した際に、その2~3日前から排水用の樋を閉め、用水の樋を開けて田に水を引き込み、育っていた麦を水没させ、いつも水に漬かっているように見せかけていた。その証拠に、いつも水に漬かっていたならば、麦の実が実るはずがないと訴えています。御公儀様をだますとはひどい連中だと書かれています。
 また、天和3年4月(日付なし)の「乍恐言上」(太田村柏原家文書)には、新開池・深野池周辺の新田を見ましたが、他領のことでもあり、十分見ているわけではないので、確かに申し上げるべきことではないと書かれています。これまで、この内容が不明だったのですが、4月18日の訴状を受けての訴状と考えると理解できます。新開・深野池の件について、十分確認もできないのに他領のことを悪く訴えることに対して、役人からお咎めがあったのでしょう。それに対しての一文だと考えられます。しかし、「乍恐言上」の最後には、新川筋村々の者が川下へ行ったときに、留め置かれてなかなか帰してもらえなかった。そのようなことがないように申し付けてもらいたいと訴えています。付け替え推進派と反対派のあいだで、いろいろと中傷や強引なことがあったようです。また、反対派と推進派がそれぞれ大坂に詰め掛けて、大坂が大混乱になったという記録もあります。
 この訴状は、河州志紀郡惣百姓、同丹北郡惣百姓、同住吉郡惣百姓から出されています。最後の住吉郡は摂津国なので、摂州とあるべきところをまちがっているようです。この訴状は、初めに「今度御意被為成候御傍示之通ニ何レ之筋ニても新川被為成仰付被下」とあります。「何れの筋にても」ということは、従来のルートでも4月21日に示された新ルートでも、ということでしょう。そのように考えると、この訴状は、21日に新たなルートが示されたことを受けて、18日に訴状を提出した村々から再度提出した訴状と考えられますが、日付がなく、宛先が御巡見様となっていることなどから、正式な訴状ではなかったと考えられます。いずれにしても、推進派と反対派が、その場の状況に応じて、さまざまな駆け引きをおこなっていたことが分かる一連の文書です。

(安村)

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付け替えを求めた郡と反対した村

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