大和川つけかえと中甚兵衛~8~

2022年2月25日

贈位と記念碑の建立

 甚兵衛が亡くなって170年余り、明治37年(1904)に大和川付け替え200周年を記念して、今米村に甚兵衛の功績を顕彰する記念碑の建立が計画されました。近隣から寄付を募って記念碑の建立計画は順調に進んでいましたが、日露戦争の勃発によって中止されました。

 そして、そのころ中家は経済的に行き詰まり、財産を次々に処分して、明治44年(1911)には今米村の中家代々の屋敷も手放すことになりました。甚兵衛の生まれた生家です。

 大正3年(1914)11月19日、関西を行幸された大正天皇が、摂津・河内の先賢14名に贈位することになりました。中甚兵衛もその一人に選ばれ、従五位が贈られました。12月8日には大阪府庁で伝達式があり、12月20日には東六郷村尋常小学校で奉告祭があり、翌大正4年(1915)には記念碑が建立されることになりました。10年前に中止された記念碑の建立への思いが、再び湧き上がったのです。

 甚兵衛の功績は地元の人たちにとって大きな誇りだったようです。記念碑建立のための寄付金はすぐに集まりました。碑は、今米村の春日神社の跡地に建立されることになりました。巨大な石碑には、「贈従五位中甚兵衛翁碑」と刻まれています。この地は、現在は今米公園(東大阪市今米1丁目)となっています。もと神社であったため、今も石碑の前に一対の狛犬が並んでいます。

 大正4年(1915)12月13日の除幕式には、近隣の村々からも大勢の人々が式典に集まり、昼夜を問わず花火が打ち上げられ、舞踏や芝居などの余興も行われて、村はじまって以来の大騒ぎだったと記録されています。甚兵衛は地元の人々にとって、大きな誇りだったのです。

 その後、中家の逼塞も影響したのか、さまざまな誤解が生じ、大和川付け替え250周年のころにはかなり誤った知識が広まるに至りましたが、中甚兵衛十代目の子孫にあたる中九兵衛氏の努力もあって、今日ではより実像に近い中甚兵衛を語ることができるようになりました。

(文責:安村俊史)

贈位の記念碑
写真:贈位の記念碑

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