安宿郡の古墳と寺院~7~

2019年5月12日

『日本霊異記』と安宿郡の寺院

 日本最古の仏教説話集である『日本霊異記』は、景戒によって弘仁13年(822)ごろにまとめられたと考えられています。仏教の教えに基づく戒めなどの話を集めたものですが、奈良時代ごろの寺院のあり方や人々のくらしのようすなどがわかる貴重な史料です。その『日本霊異記』に安宿郡の寺院が二箇所に登場します。

 一つは下巻第5話に、「河内国安宿郡部内、有信天原山寺」がみえます。この寺の僧が施し物の銭を盗んだが、菩薩の力によってばれてしまうという話です。「信天」は「しで」と読むようです。「信天原山寺」は一般には「信天原の山寺」と読まれていますが、「信天の原山寺」と読むこともできます。この寺とは、「原山」という小字名の地にある原山廃寺のことではないでしょうか。ただし、「信天」に関連する地名をみつけることはできません。この話には「河内市辺井上寺」もみえます。井上寺は石川の左岸にある衣縫廃寺のことで、市とは恵我市のことでしょう。石川の対岸とも頻繁な交流があったことがわかります。

 もう一つは、中巻第7話にみえる智光の出身寺院として鋤田寺という寺院がみえます。「釈智光者、河内国人、其安宿郡鋤田寺之沙門也。俗姓鋤田連、後改姓上村主也。母氏飛鳥部造也。」とある。智光は元興寺三論宗の僧で、「智光曼荼羅」で有名な元興寺を代表する僧です。この話は行基のことを妬んだ智光が地獄に堕ちて苦しむという話ですが、その智光が安宿郡の鋤田寺の出身だったということです。この鋤田寺は東条尾平廃寺に想定されています。そして、その地が開発されるときに、元興寺仏教民俗研究所が発掘調査しています。場所は亀の瀬に近い国道25号の南側、現在金属鉄工団地となっているところです。しかし、前回紹介したように智光の住持した8世紀中ごろに遡る寺院は確認できませんでした。

 なぜ東条尾平廃寺が鋤田寺跡とされてきたのか、確かな理由がわかりません。もしかすると、ほかの寺院が鋤田寺かもしれません。河内国分寺跡から古い瓦が出土することから、国分寺の前身寺院をあてる説もあります。鋤田寺跡がどこにあったのかは今後の課題ですが、智光の母が飛鳥部(戸)氏だったことも注目されます。智光のような僧侶を生み出す仏教的世界が安宿郡にあったのだと考えられます。

(文責:安村俊史)

原山廃寺出土軒丸瓦
写真:原山廃寺出土軒丸瓦(当館所蔵)

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