わずか8か月の大工事~3~

2018年9月23日

工事が早くできた理由・2

 工事を早く終えることができた二つめの理由として、大勢の人を雇用できる体制があったことをあげておきたいと思います。付け替え工事に従事した延べ人数は280万人余りと考えられます。1日平均にすると1万2千人余りとなります。こんなにたくさんの人をどのようにして集め、管理していたのでしょうか。

 工事に必要な多数の人足を用意することを幕府や藩の役人から請け負ったのは、近隣の経済的に豊かな農民だったようです。その農民は顔見知りの土木業を請け負う町人に人集めを依頼したようです。彼らは「請負人(うけおいにん)」あるいは「用聞(ようきき)」などとよばれていました。その請負人が必要な人数を集めて仕事の段取りをしたのです。このような経済システムが、300年以上も前に整っていたことに驚きます。大阪の西成に行けば必要な作業員を集める手配使とよばれる人がいましたが、もっと大規模に人を集めることが求められたのです。このような形で人を集めることができれば、地元の農民にもお金が入り、大坂の経済活性化にも役立ったことでしょう。

 大和川付け替え工事では、地元の農民が強制的に動員されたと書かれた本があります。また、各藩がそれぞれの地元から数百人の農民を連れてきたという話も聞きます。しかし、実際には幕府や藩が金銭を支払って人集めを依頼し、その結果集まった人々が工事に従事したのです。幕府や藩は、彼らの仕事を指示し、管理するのが役割だったのです。

 人足には、1日1匁5分程度の日当が払われたようです。今の価値にすると5千円程度でしょうか。彼らは地元の農家に宿泊して、泊り込みで働きました。農家には、火の用心、けんか・口論の禁止、賭博などの禁止などが厳しく言い渡されていました。

 このように、毎日1万人以上もの人を集めることができる大坂の経済システムが存在したことも、工事を早く終えることができた理由の一つです。人が集まらなければ、いくら早く終わらせようと思ってもできないのですから。

(文責:安村俊史)

新大和川計画地の水盛の図A
新大和川計画地の水盛の図B
図:新大和川計画地の水盛の図(地形高下之事・中家文書)

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