~和気清麻呂の大和川付け替え10~

2017年11月26日

付け替え痕跡のその後

 和気清麻呂の大和川付け替え工事の痕跡は、上町台地の窪地となって残ることになりました。この窪地をどのように利用するか。当然ながら、破壊された渋河道がこの窪地を通ることになったのです。近世の奈良街道は、杭全からほぼ付け替え跡地をたどりながら北西へ進み、四天王寺の東で北に曲がって四天王寺南門前へと出ます。もとは、付け替え痕跡をたどって谷町筋付近へ至っていたのでしょう。

 ところで、茶臼山の河底池は、いつ造られたのでしょうか。今のところ、まったくわかりません。中世にため池として整備されたのかと思われますが、大坂冬の陣の際に徳川家康が茶臼山に陣を敷いており、その際にもかなり整備されているのでしょう。

 明治以降、付け替えルート周辺の市街化が急速に進みました。これに伴って、付け替え痕跡が窪地となって残っていることさえ忘れられてしまいました。周辺の市街化に伴って、このような窪地は徐々に埋め立てられ、急激な高低差を解消するようになったのでしょう。それでも、現在も付け替え痕跡をたどることができるのです。人間の営みは激しいものがありますが、地面に残された痕跡は、そうやすやすと消え去ることはないのです。

 JR東部市場前駅から茶臼山まで3km弱の距離です。北・南との高低差を確認しながら、みなさんも清麻呂の付け替え痕跡を歩いてみませんか。きっと新しい発見があると思います。

 この清麻呂の付け替えを紹介した当館の特集展示「和気清麻呂の大和川付け替え」は平成29年12月24日までです。この機会にぜひ展示を見て、自分で歩いてみてください。歴史を感じることができますよ。

(文責:安村俊史)

推定渋川道と乱れ
図10:古代の推定渋河道と付け替えによる乱れ。

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