~和気清麻呂の大和川付け替え5~

2017年10月17日

宇佐八幡宮神託事件と清麻呂

 奈良時代の中ごろ、称徳天皇は寵愛した道鏡とともに国を治めていました。ところが、神護景雲3年(769)に思いもよらないお告げが豊前(大分県)の宇佐八幡宮からもたらされました。それは、「道鏡を天皇にすれば、天下は太平になる。」というものでした。このお告げに対して、称徳天皇は「八幡の神の使者が、広虫を宇佐八幡宮に派遣するようにという夢を見た」といいます。広虫は清麻呂の姉で、称徳天皇の傍に仕えていました。しかし、広虫はからだが弱いので、弟の清麻呂を代わりに宇佐八幡宮に派遣することになったのです。清麻呂に対して、道鏡はいい答えをもたらせば、高い位を与えると約束したということです。

 宇佐八幡宮に参った清麻呂が、真実の神のお告げを聞きたいと祈ったところ、高さ3丈(9m)ほどの光り輝く神が現れ、「天皇は必ず皇族を立てるべき、道鏡の願いを許してはならない」というお告げを清麻呂に与えました。都に帰って神のお告げを報告したところ、称徳天皇と道鏡の怒りをかい、清麻呂は大隅(鹿児島県)に配流されることになったのです。

 この事件には謎が多く、未だに真相は解明されていません。神託を仕組んだのは称徳天皇なのか道鏡なのか、あるいは二人なのか。宇佐八幡宮の神職団が仕組んだとも考えられ、神職団と道鏡が共に仕組んだという説もあります。さらに神託事件そのものが『続日本紀』編者のでっちあげだという説もあります。

 また、称徳天皇の怒りの原因は、道鏡を皇位につけられなかったことにあるのではなく、臣下の清麻呂が皇位に言及したことや、道鏡を排除せよと言ったことにあるという考え方が最近の研究では強くなっています。そして、清麻呂に神託を否定するように指示したのは称徳天皇自身だったという説もあります。いずれにしても、最近では称徳天皇も道鏡を皇位につけるつもりはなかったとする考えが有力となっています。

 清麻呂は大隅に下向する最中に道鏡の遣いの者に命を狙われましたが、雷がなって助かったという話もあります。後世、清麻呂は皇族以外の者が皇位につくことを防いだ人物として、高く評価されることになります。

(文責:安村俊史)


写真5:宇佐八幡宮

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