~河内大橋4~

2017年6月13日

医王寺の『大般若経』

 『万葉集』以外に、「河内大橋」に関わると思われる史料が一つだけあります。和歌山県伊都郡かつらぎ町にある医王寺にかつて所蔵されていた『大般若経』です。この『大般若経』の中に、天平勝宝6年(754)の「家原邑知識経」と呼ばれる奈良時代の写経がありました。現物は昭和28年(1953)7月の洪水で流されて現存しないのですが、それ以前に読まれていたため、内容はわかっています。ここに、「大般若経」を写経することになった経緯などが記されています。

 そこには、河東の化主と称された万福法師が、天平11年(739)から12年(740)の冬にかけて橋を造ろうとしたがかなわず、それを継いだ花影禅師が天平勝宝6年(754)に橋の改修を成し遂げることができた、と書かれています。この写経をした人たちは、家原邑(家原里)の人たちでした。この家原邑とは、河内六寺のひとつ家原寺のあった柏原市安堂町付近と考えていいでしょう。河東とは大和川の東と考えれば、安堂付近で問題ありません。さらに、ここで改修されたという橋とは、河内大橋のことだったと考えることができます。

 ここには、花影禅師が「改造洪橋」したとありますので、壊れていた橋を改修したということでしょう。おそらく、天平11年以前から存在した橋がかなり傷んでいたので、万福法師が改修しようとしたが実現できず、花影禅師が改修できたのでしょう。この橋の無事完成を祈願した写経だったと考えられます。写経した人々は、「仕奉せる知識」の人たちでした。知識とは、仏教への深い信仰に基づいて、寺院や仏像を造るために私財を提供すること、またはそれを行う人のことをいいます。橋の完成祈願のために写経をする行為も知識です。おそらく、橋の改修そのものが知識による寄附、労働協力などによってなされたのでしょう。

 ここにみえる橋が河内大橋でまちがいないとすると、その姿がおぼろげながら見えてきます。河内大橋は天平11年以前に架けられており、天平11年にはかなり傷んでいたこと、橋の改修は知識によってなされたことなどがわかります。

(文責:安村俊史)

河内大橋想像図
写真:河内大橋想像図

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