堤を築く4

2016年9月29日

小山平塚遺跡の調査より

 1988年に藤井寺市小山の左岸堤防で、小山雨水ポンプ場建設に伴う発掘調査が実施されています。この調査は、大和川堤防の発掘調査としては最初のもので、断面だけでなく一部では平面調査も実施されています。

 堤防断面の観察によって、均整のとれた台形断面をなすつけかえ当時の堤防が確認されました。堤防の基底部幅(根置)が21.5m、上面幅(馬踏)が5.4m、高さ3.6mで、設計よりも基底部で2m、高さで0.9m小さいことがわかりました。

 また、堤防基底部の両側に沿って、堤防に平行する木杭が列をなして打ち込まれていました。直径10~15cm、高さ2m前後の大きい杭です。堤防の南側の杭列と北側の杭列との間隔は23.4m、すなわち設計の根置き幅に一致しています。おそらく、設計に基づいて堤防幅を示す杭が打たれて盛土が行われたのですが、設計よりもやや小さい堤防ができあがってしまったのでしょう。高さも設計より低いことを考えると、完成後に盛土が圧縮されて小さくなっていることも考慮する必要があるかもしれません。

 小山平塚遺跡の堤防は、良質の粘土を積み上げて築かれており、調査時には「鋼土(はがねつち)」を使用した強固な堤防であったと評価されました。そして、つけかえに伴う堤防は強固に造られていたとされました。しかし、その後のほかの地点での調査によって、これが普遍的なものではなかったことがわかりました。小山周辺は台地の先端付近にあたり、良質な粘土を地盤としています。落堀川の掘削によって掘り出された、この良質な粘土を堤防の盛土に使用しただけのようです。盛土が南から順に積み上げられていることからも、落堀川の掘削土を近いところから順に積み上げていったことがわかります。積み上げた土の上面が水平になっていないことから、築堤途中での叩き締めが行われておらず、堤防を強固にする意図がなかったことがわかります。

 このほかに、堤防と15~20°の角度で下流方向にのびる杭列が3列確認されています。これは、堤防に当たる水の流れを弱くするための「杭出し水制」の痕跡と考えられます。近世の絵図にも、この付近に杭出し水制があったことがわかっています。堤防を守るための工夫のひとつです。

(文責:安村俊史)

小山平塚遺跡堤防断面

写真:小山平塚遺跡堤防断面(藤井寺市教育委員会提供)

小山平塚遺跡堤防断面図

:小山平塚遺跡堤防断面

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