~玉手山古墳群7~

2016年7月5日

玉手山1号墳

 玉手山1号墳は、丘陵の北端に位置する前方後円墳です。前方部を北に向け、全長は約110mと推定されています。これまでに関西大学、大阪府教育委員会、柏原市教育委員会、大阪市立大学によって調査が実施されています。玉手山古墳群の中で、もっとも良好に残っている古墳です。

 くびれ部では葺石とテラスに立つ埴輪列が確認されています。テラス面には、白色の円礫が敷かれています。

 後円部墳頂には、板石を積み上げた方形の壇があり、その中心に竪穴式石室が存在すると考えられますが、この地は私有地であり、大坂夏の陣で亡くなった奥田忠次の墓碑があるため調査は実施されていません。前方部には粘土槨があることを確認しています。また、後円部南側で楕円筒埴輪を主体とした埴輪棺も確認しています。

 1号墳と7号墳の年代については、筆者(安村)をはじめ1号墳のほうが先行すると考える研究者が多いのですが、大阪市立大学の岸本直文氏やその調査に参加した方々は7号墳のほうが先行すると考えています。両者が扱っている資料は同じなのですが、その解釈によって異なる見解が導かれているのです。

 まず、墳丘について、岸本氏らは1号墳の墳丘は天理市渋谷向山古墳(景行陵)の墳丘と同じ形態だと考えますが、筆者は1号墳の墳丘は桜井市メスリ山古墳に似ていると考えています。この形態の古墳は、桜井茶臼山古墳、メスリ山古墳、渋谷向山古墳と変遷します。また、埴輪の立てられている数が1号墳のほうが多いことや、透孔の形などから岸本氏らは埴輪からみても7号墳のほうが先行すると考えています。筆者は朝顔形埴輪の形態や埴輪の製作技法から1号墳のほうが先行すると考えています。筆者の年代観では1号墳とメスリ山古墳の年代が近いと考えますが、岸本氏は渋谷向山古墳との類似性を指摘しつつも、前期後半の渋谷向山古墳よりも1号墳のほうが先行すると考えています。その解釈として、渋谷向山古墳の被葬者(景行大王)は長生きであって、生存中に1号墳の被葬者に古墳の設計図面を渡していて、1号墳の被葬者が先に亡くなり、渋谷向山古墳の被葬者は長生きしたと考えるのです。筆者は、そのような都合のいい解釈には納得できません。

 いずれにしても、1号墳と7号墳の年代差が小さいのはまちがいないでしょう。

(文責:安村俊史)

玉手山1号墳くびれ部の石積みと円筒埴輪画像

玉手山1号墳くびれ部の石積みと円筒埴輪

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