~おひなさん1~

2016年1月10日

ひなまつりのはじまり

 古くから、中国では罪や穢れ、災いなどを川に流す行事がありました。これを「上巳の祓(じょうしのはらえ)」といいました。旧暦では、毎年の干支(えと)が決まっているように、毎日の干支が決まっています。3月最初の巳(み・へび)の日にこの行事が行われたので、「上巳(じょうし)」といいます。その行事が日本にも伝わり、飛鳥時代(7世紀)ごろから貴族たちの間で行われるようになりました。このときに、人のかたちにつくった木片で自分の身体をなでて、それに罪や穢れを移して川に流しました。この人のかたちをした木片を「人形(ひとがた)」といい、金属製のものや紙でつくったものもありました。人形が遺跡から出土することもあり、平城宮跡などで多数出土しています。柏原市の安堂遺跡からも出土しており、この地で都の風習が行われていたことがわかります。この行事は、奈良時代(8世紀)ごろから、3月3日の行事として定着していったようです。

 この上巳の祓と、平安時代ごろから広まった女の子のお人形(にんぎょう)遊びが一緒になって、「ひな人形」が生まれたと考えられています。そのころ、小さいかわいいものを「ひひな」といいました。ひよこのことを「ひな」といいますが、これとも関係があるようです。そこから「ひな人形」と呼ばれるようになったようです。女の子は、人形の着物を着せ替えたりして楽しみました。今でもひな人形を川に流す地方がありますが、それは上巳の祓と結びついた古いかたちが残っているからなのです。

 このようにして3月3日前後にひな人形で遊ぶことが貴族や武家のあいだに広まりました。今から300~400年ほど前のことです。やがて、この遊びが年中行事として定着し、「ひな祭り」と呼ばれるようになっていきました。

 もともとひな人形は飾るものではなく、遊ぶものでした。女の子のままごと遊びです。そこで、さまざまな「ひな道具」も生まれました。やがて、豪華なひな人形やひな道具が飾られるようになり、だんだんとひな祭りも変わっていきました。ひな道具も、台所の道具に嫁入り道具が加わり、箪笥や駕籠なども飾られるようになっていったのです。

 柏原市立歴史資料館には、市民から寄贈されたひな人形があります。この季節に、それらを一堂に展示してご覧いただきたいと思います。平成27年度の特集展示として、「おひなさん」を開催します。どうぞ、ご覧ください。

(文責:安村俊史)

安堂遺跡出土の人形

安堂遺跡出土の人形(ひとがた)

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